『七部集』

『冬の日』----------------------

「こがらしの巻」
笠は長途の雨にほころび、紙衣はとまり\/のあらしにもめたり。侘つくしたるわび人、我さへあはれにおぼえける。むかし狂哥の才士、此国にたどりし事を、不図おもひ出て申侍る。

発句  狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉 芭蕉 冬
脇句  たそやとばしるかさの山茶花    野水 冬
相伴  有明の主水に酒屋つくらせて    荷兮 秋
四   かしらの露をふるふあかむま    重五 秋
五   朝鮮の細りすゝきのにほひなき   杜国 秋
六   日のちり/\に野に米を苅     正平 秋
七   わがいほは鷺にやどかすあたりにて 野水 雑
八   髮はやすまをしのぶ身のほど    芭蕉 雑
九   いつはりのつらしと乳をしぼりすて 重五 雑
十   きえぬそとばにすご/\となく   荷兮 雑
十一  影法のあかつきさむく火を燒て   芭蕉 冬
十二  あるじはひんにたえし虚家     杜国 雑
十三  田中なるこまんが柳落るころ    荷兮 秋
十四  霧にふね引人はちんばか      野水 秋
十五  たそかれを横にながむる月ほそし  杜国 秋
十六  となりさかしき町に下り居る    重五 雑
十七  二の尼に近衛の花のさかりきく   野水 春
十八  蝶はむぐらにとばかり鼻かむ    芭蕉 春
十九  のり物に簾透顔おぼろなる     重五 春
二十  いまぞ恨の矢をはなつ声      荷兮 雑
二十一 ぬす人の記念の松の吹おれて    芭蕉 雑
二十二 しばし宗祇の名を付し水      杜国 雑
二十三 笠ぬぎて無理にもぬるゝ北時雨   荷兮 冬
二十四 冬がれわけてひとり唐苣      野水 冬
二十五 しら/\と砕けしは人の骨か何   杜国 雑
二十六 烏賊はゑびすの国のうらかた    重五 雑
二十七 あはれさの謎にもとけし郭公    野水 夏
二十八 秋水一斗もりつくす夜ぞ      芭蕉 秋
二十九 日東の李白が坊に月を見て     重五 秋
三十  巾に木槿をはさむ琵琶打      荷兮 秋
三十一 うしの跡とぶらふ草の夕ぐれに   芭蕉 雑
三十二 箕に鮗の魚をいたゞき       杜国 雑
三十三 わがいのりあけがたの星孕むべく  荷兮 雑
三十四 けふはいもとのまゆかきにゆき   野水 雑
三十五 綾ひとへ居湯に志賀の花漉て    杜国 春
三十六 廊下は藤のかげつたふ也      重五 春

-------------------- Windows IE5.5以上でご覧の方は、上記のものを縦書きでご覧いただけます



笠は長途の雨にほころび、紙衣はとまり\/のあらしにもめたり。侘つくしたるわび人、我さへあはれにおぼえける。むかし狂哥の才士、此国にたどりし事を、不図おもひ出て申侍る。
発句 狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉    芭蕉 冬
狂歌の才士=竹斎、架空の人物 江戸初期のはやりの仮名草子『竹斎物語』の主人公で、 狂歌に秀で、東海道を東に下る道中さまざまな奇行を演じる。作中、名古屋に現れる出で立ちが、芭蕉自らを喩える様子となっている。

《笠は長旅の雨に綻び、紙のレインコート兼防寒衣は、泊まり泊まりの間の嵐にもみくちゃになってしまった。やつれにやつれた風狂人である自分は、我ながらわびしいものだ。むかしこの地に、狂歌の得意な竹斎がたどりついたことをふと思い出して、
狂句をなりわいにこがらしのように漂泊してきた我が身は、あの竹斎に似ているようだ》

 こがらしの身は竹斎に似たる哉、で字句が足りてるわけだが、何故あえて「狂句」という字余りをつけたのか。
前書き説
 一説に、狂句 こがらし-----、と発句の一部と切り離して、前書きの一部と見る。後年、芭蕉自ら狂句の字句を削った、との伝え(『 三冊子』ほか)で補完される説だが、原板本では一句として書かれているので、この説は難しいであろう(伊藤著*)。
字余りが当時の流行説
 これ以前の『虚栗』時代から、上五を字余りとする句が散見され、野ざらし紀行中にもいくつかあるので、当時のはやりであったのではとする説である。
 多分この線で芭蕉は行ったのではないか。また、 あえて破調を持ってきて、名古屋の新人たちを困惑させて確固とした印象付けを狙ってのことではあるまいか。
 となると、「竹斎は狂歌、我は狂句という事なるべし」(石子積翆)というところが妥当であろうか。
初折表には、人名・地名は避ける式目があるが、芭蕉はあえて破っている。三句目でも人名が出てくるのを認めてもいる。
『芭蕉連句全解』伊藤正雄著
脇句 狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉
たそやとばしるかさの山茶花     野水 冬
たそ=誰? とばしる=飛び散る 季=山茶花・冬

《かの竹斎さんに似ているという、散った山茶花を笠に載せてくる、風狂人はどなたですか》

 この日の歌仙は、野水宅で行われたことがうかがわれる。
 発句で述べた芭蕉の姿を、戯れて迎える、亭主の立場での句。同時・同景の脇句の定式を踏まえている。
 三年の後、『笈の小文』中で、旅に出立する際に詠む「旅人とわが名呼ばれん初時雨」へ弟子の付け句で「又山茶花を宿\/にして」とあり、この歌仙が広く知られていたことを物語る。
相伴 たそやとばしるかさの山茶花
有明の主水に酒屋つくらせて    荷兮 秋
有明の主水=人名であることは間違いないが、解釈は種々分かれ、いずれも推測の域を出ない。同時代人が書き残していないのは不思議である。
季=有明で、月の座になり秋

《 有明の主水という名匠に数寄をこらした酒屋をつくらせた主人は笠に山茶花をかざした粋き者である》
○この解釈は、亭主役の野水邸を褒め、彼を持ち上げたもの。

○主水の名から滋賀の建築の名家・中井家(代々主水名)に当て、建築家とする説が多い。有明は架空の名とする。
○酒屋は、大名家などで邸内に余興で作る酒亭とする説もある。
○野水は、呉服商、醤油醸造を家業としたとされる。酒屋ではない。
 秋の句で始まったので、月をここに引き上げている。
有明の主水に酒屋つくらせて
かしらの露をふるふあかむま    重五 秋
あかむま=赤馬、茶色の馬 酒屋の店頭の情景 季=露・秋

《新築の酒屋の店頭では、朝から荷を運ぶ赤馬が、たてがみについた朝露を勢いよくふるい落としている》

 有明から、早朝の景色を連想する付け。元気な馬から活気ある酒屋が浮かぶ。
 酒を隠語で赤馬ということがあるが、いつ頃から使われたのか定かではなく、言葉の付けでは芸がなさすぎるので、この説は不可。
かしらの露をふるふあかむま
朝鮮の細りすゝきのにほひなき   杜国 秋
細り=やせ細った 季=すすき・秋

《 馬がたたずんでいる朝鮮の原にはやせ細ったすすきが枯れた色で広がっている》

月の定座  馬からすすきが原を思い描いたのあろう、いわゆる物付け。朝鮮の地名は、高麗・李朝茶碗など、朝鮮からの古渡りの茶碗の侘びた風情から、 ただ訳もなく荒涼としているであろうと、当時は想像されたのではなかろうか。
 月の定座だが、前に引き上げている。
朝鮮の細りすゝきのにほひなき
日のちり\/に野に米を苅     正平 秋
ちり\/=夕陽が沈む頃合いに、日の光がちかちかする様という。今日では夏の暑い陽射しを指す言葉になっているが。季=米を刈る・秋

《朝鮮の荒涼としたすすきの原には、日が傾き、米を刈る農民の姿が見える》

 これも朝鮮の想像上の情景となっている。秋が四句続いたことになる。
 正平は、この折端一句にのみ登場する不詳の人物。執筆か。
初折裏
日のちり\/に野に米を苅 
わがいほは鷺にやどかすあたりにて    野水 雑
いほ=庵 季ナシ

《私の居る庵は、鷺が巣をつくっているような人里離れたところで、夕暮れには農夫が米を刈るのが見えるだけだ》

 鷺に宿を貸すという言い方が、俳諧の妙であろう。
 ここで季を転じた。
わがいほは鷺にやどかすあたりにて
髮はやすまをしのぶ身のほど    芭蕉 雑
はやすま=生やす間、生えるまで

《侘びしいところに棲んでいるのは、髪が生え揃って還俗するまでの間、身を隠さなければならないからだ》

 何か不祥事や、理由があってのことだろうと種々想像をめぐらさせる句作りである。こうした句の後は付けやすい。政争、色恋沙汰も考えられる。裏入りしたことでもあるし、この辺で恋句を誘う意図が見え、芭蕉ならではの手腕といえよう。
 主人公を尼と見る解釈もできるが、そうすると次の付け句には転機が見られず、ここは男と見る方が自然であろう。
髮はやすまをしのぶ身のほど
いつはりのつらしと乳をしぼりすて 重五 雑
《忍ばなければならぬ身とは知りながらも、男の不実が切なく、わが子は取り上げられ、むなしく出る乳はしぼっては捨てなければならない》

 主人公は女である。しぼり捨てに凄みがある。
○剃髪していることから、本妻に知れて詫びに髪を切った女とみる説。
○尼が子を産んで、己を恥じる説。
○第三者が間に入ってダマして仲を裂いたという説。
など、諸説あるが、忍ぶ身は同じと見ての付けではいかがでしょうか。

いつはりのつらしと乳をしぼりすて
きえぬそとばにすご\/となく   荷兮 雑
きえぬ=他は消えたが そとば=卒塔婆 なく=泣く

《墓前で、幻となって現れた我が子の姿は消えてしまったが、現になればそこには卒塔婆がたっていて、我が身を責めて忍び泣く

 能、浄瑠璃に登場する、行方知れずの子供に会えたと思ったらそれは墓で、子供の姿は幻であった、という説話が下敷きになっている。
 前句につらなれば、恋句であるが、単独では恋ではない。恋離れの句である。雑が四句続いたので、そろそろ季語がほしいところである。

十一 きえぬそとばにすご\/となく
影法のあかつきさむく火を燒て   芭蕉 冬
影法=影法師 焼て=たきて 季=さむく・冬

《喪屋で、寒夜に焚火で暖をとる人影が、曉のほのあかりに薄れて揺れている》

 死者のために、墓前に喪屋を建てて、親族が詰めて弔う風習があったという説にしたがう解釈。
 卒塔婆を前に泣く女から、墓前で通夜をする男に転化して、状況が変化している。
○墓守の老人と見る解釈もあるが。

十二 影法のあかつきさむく火を燒て
あるじはひんにたえし虚家     杜国 雑
虚家=からいえ、空き家 季=ナシ

《貧窮の内に絶えてしまった空き家に、不浪人が巣くって焚火をしていて、その影が朝方の寒さに揺れている》
前句に付けるに、まっとうな句といえる。面白味に欠けるが。

○主人は、貧しさに耐える高潔の士と見る解釈もある。

十三 あるじはひんにたえし虚家
田中なるこまんが柳落るころ    荷兮 秋
田中=人名ではなく、田の中とみる こまん=遊女の名 季=柳落ちる(柳の落葉)、秋

《裕福だった名家も没落し家も絶えた、その原因となった田圃の中にある遊女こまんにゆかりの柳が落葉し始めた》
○虚家の主とこまんとの間には何かあったのでしょうと想像させる句作りで、芝居がかった場面である。

○こまんを、名を馳せた遊女名とみるのは、ぽっとこの句を出されたらかなりの想像力を要する。有明の主水と同様虚構の名とする説が有力であるが、そうであろうか。
次は月の定座であるので、季節は秋に。

十四 田中なるこまんが柳落るころ
霧にふね引人はちんばか      野水 秋
月の定座 季=霧、秋

《柳に水辺は付き物、柳の向こうに小舟が川を曳かれてゆく。力が掛かるその人の歩みが少々独特に見える》

○情景句でありながら人の様子を描いて身近な世界に引き寄せている。今は使われない言葉は、時代のもの。
○月の定座だが、後に譲る。

十五 霧にふね引人はちんばか
たそかれを横にながむる月ほそし  杜国 秋
たそかれ=たそがれ 月細し=三日月のように月齢の浅い細い月 季=月 秋

《舟を曳いていて身を伏して横目に眺めると、たそがれの空に、寒々とした細い月がかかっている》

○舟を曳く様の遠くに月を見る景との意見もあるが、舟曳く人の目線とみる方が自然であろう。

十六 たそかれを横にながむる月ほそし
となりさかしき町に下り居る    重五 雑
さかしき=やかましい 町に下り=宿下がり、武家や公家などに奉公する町家の女が休暇などで実家に帰ること 季=なし

《故あって宿下がりして、静かに月など眺めて物思いに浸るやさきに、お屋敷とちがって隣家の雑音がやかましく、やるせない》

○宿下がりに何か事の次第がありそうな女を想像させる。一見、恋を呼びそうな気配だが、次は花の定座なので抑えたつくりにしたのであろう。

十七 となりさかしき町に下り居る
二の尼に近衛の花のさかりきく   野水 春
花の定座 二の尼=固有の名前ではなく、仕えた主人(帝)の死に伴い出家した尼。弐位の局とか言われていた人物という意味 近衛の花=摂関家の近衛家にあった「近衛の糸桜」として有名な桜。 季=花 花の定座

《隣の騒々しい声が聞こえるような町屋住まいの二の尼に、住民が、昔日の近衛家の有名な桜のことを尋ねる》

○《辞して隣と接した騒々しい町に暮らす一の尼が、後輩の尼に、なつかしい近衛家の桜の様子を尋ねる》との解釈もあるが、二に対して一の尼の登場は、ちょと苦しい。町屋の中に居る状況からは、住民との対話の方が自然であろう。弐位の局とかの名称とみたほうが自然。
○華やかな宮中の昔話にふける老いた尼に、恋の気配は薄れる。

十八 二の尼に近衛の花のさかりきく
蝶はむぐらにとばかり鼻かむ    芭蕉 春
むぐら=葎、雑草 浅茅・蓬とともに荒れ果てた住まいの描写に使われる。季語では夏になるが、蝶が春で前句の桜に引かれてここは春の句 鼻かむ=泣くこと

《問う人に、尼は、栄えたお屋敷も今は雑草が生いてと語り、涙にくれる》

○時の移ろい、栄枯盛衰の理を述べたもの。

名残の表
十九 蝶はむぐらにとばかり鼻かむ
のり物に簾透顔おぼろなる     重五 春
簾透=すだれすくと読む 季=おぼろ 春

《高貴な方と知れる輿の御簾越しにお顔がおぼろに見えるあの方は、零落のいまは人目を忍ぶ人》御簾の中の人物は男とも女ともみることができる。

○おぼろを、春の朧月とみる説もあるが、表11句目の定座に月の句があるので、ここは夜の景にはならないであろう。

二十 のり物に簾透顔おぼろなる
いまぞ恨の矢をはなつ声      荷兮 雑
《御簾越しに顔はかすかな乗り物の主に、恨みの矢を射かける武者の声》
仇討ちか。王朝時代から、武家社会の鎌倉時代へ転換。

○元気な遣り句ですね。歌舞伎の一幕風。荷兮は芝居好きだったのかも知れない。

二十一 いまぞ恨の矢をはなつ声
ぬす人の記念の松の吹おれて    芭蕉 雑
記念=かたみ 季=なし

《退治されたのは盗賊。その現場に植えられていた松の木は、今は雨風に耐えずに折れてしまっている》単純な勇ましさから、哀れさの抒情をもたらす景に変えた。

二十二 ぬす人の記念の松の吹おれて
しばし宗祇の名を付し水       杜国 雑
宗祇=室町中期の連歌師 当代きっての文化人 各地を巡り連歌の指導にもあたった。

《悪名を馳せた盗賊の名残の松も折れてしまったように、宗祇の名を冠した名水も時の流れに埋もれてしまう》留まることなき変転の侘びしさを詠う

○岐阜県郡上郡に、宗祇の清水(忘れ水)といわれる名水があったそうだ。そうした旧跡を念頭にした作であろう。

二十三 しばし宗祇の名を付し水
笠ぬぎて無理にもぬるゝ北時雨   荷兮 冬
北時雨=北から吹き付ける時雨といったもので、寒さ侘びしさが一層つのる。冬
宗祇の句 世にふるもさらに時雨の宿りかな に敬意を表する思いか。

《宗祇の旧跡で、敬意を表して笠をとり時雨にぬれてみて、かの有名な句にあやかりたい》宗祇の「さらに」にかけて、無理に、と応答したもの。

○芭蕉の「世にふるもさらに宗祇のやどり哉」も踏まえて、芭蕉によいしょしたとは、穿ちすぎではあるまいか。ここは素直に、宗祇=時雨ととりたい。

二十四 笠ぬぎて無理にもぬるゝ北時雨
冬がれわけてひとり唐苣      野水 冬
冬がれ=冬枯れ 唐苣=とうちさ、青菜で常緑 

《時雨に濡れて笠も被らずに行く風狂人がある。冬枯れの草木を押しのけて伸びる青々とした唐苣のようにひとり孤高を守る御仁のようだ》

○意固地とも言える人と褐色のなかの一点の緑の超然さの対照
○人ひとりが唐苣を摘みに冬枯れの景色の中にいる、と見るのは、唐苣の孤立する強さの現れには及ばず。

二十五 冬がれわけてひとり唐苣
しら\/と砕けしは人の骨か何   杜国 雑

《枯れ野に唐苣摘みに入ったところ、白々と点在して見えるものは人の骨かもしれない》

○安達ヶ原のようなイメージを抱かせる。
○古歌「しらじらと白けたる年の月影に雪かきわけて梅の花折る」(和漢朗詠集)を下敷きにしたとの説は頷ける。

二十六 しら\/と砕けしは人の骨か何
烏賊はゑびすの国のうらかた    重五 雑
ゑびすの国=夷の国 蛮人が住むといわれる異国 うらかた=占形、占方 占形は、占うために亀の甲を焼いてできた亀裂を指す。占方は、占うこと ここでは占うことの意であろう。

《人の骨と見えたのは、イカの甲で、夷の国の占いの風習であった》

○理に落ちたような話である。朝鮮の句にもあるように、余所の国はあまりよく言わないようである。

二十七 烏賊はゑびすの国のうらかた
あはれさの謎にもとけし郭公    野水 夏
郭公=ほととぎす、と読む。不如帰とも書き望郷を象徴する鳥とされた。謎にもとけし=とけじとの解釈もあり、解けた、解けないとでは大きな違いを生じる。ここでは声の大きい方に与しておこう。季=ほととぎす 夏

《夷の国では、王昭君の望郷の思いを託したほととぎすの謎も解くことはできないだろう》

○えびすから中国、王昭君の故事へ、と異国趣味が続く

二十八 あはれさの謎にもとけし郭公
秋水一斗もりつくす夜ぞ      芭蕉 秋
秋水一斗=漏刻、水時計で計る水の意 
秋の夜を明かす恨みを持つ女を登場させた。

《ほととぎすにかけた恋の謎かけに、つれない男を想って、水時計の水が盛り尽くすまで秋の夜を過ごしてしまった》

○硬い内容から、柔らかな内容への転化を図ったが。

二十九 秋水一斗もりつくす夜ぞ
日東の李白が坊に月を見て     重五 秋
日東=じっとうと読む。日本のこと 月の定座

《日本の李白と称される詩人の住まいで、秋の夜を漏刻を盛り尽くすまで詩作に興じる観月の宴》

○日東の李白に見立てるのは、石川丈山か。彼の寓居は、一乗寺の詩仙堂。秋水一斗の漢語からの連想であろう。はたまた異国趣味が。

三十 日東の李白が坊に月を見て
巾に木槿をはさむ琵琶打      荷兮 秋
巾(きん)に木槿(むくげ)をはさむ=中国の故事 李白と同じ「飲中八仙歌」の一人、鞨鼓の名手汝陽王シンが、玄宗皇帝の前で演奏中、皇帝が戯れにシンの帽子の上に置いた紅い木槿の花が演奏中に落ちることなく感嘆された故事を引く。打ち=打ち鳴らすから奏者 季=木槿 秋

《観月の宴に興を添えて木槿を頭上にはさんだ琵琶法師がいる》

○李白からの発想。割と単純。次の句の展開を待つ遣り句とみえる。秋が三句。次は転季か。 

名残の裏
三十一 巾に木槿をはさむ琵琶打
うしの跡とぶらふ草の夕ぐれに
   芭蕉 雑
うしの跡=関寺にある牛の石塔 前句を琵琶奏者の崇敬を集める蝉丸の祠を詣でる人とみて、同じ逢坂の関にほど近い関寺の、佛の化身となって現れた牛を奉った石塔を手向けの草を手に詣でる情景とした。尾張に入る前に近江を旅した芭蕉の体験からの句であろう。

《夕暮れに、ここ逢坂に蝉丸の祠を詣でる琵琶法師もいるが、草を手に牛の石塔を詣でる人もいる》 

三十二 うしの跡とぶらふ草の夕ぐれに
箕に鮗の魚をいたゞき
       杜国 雑
ここでは、うしの跡は、死した家畜を埋葬する牛捨て場とみる。箕=竹で編んだ農具、稲などの穀類の殻をふるい分けるのに使う。これを製造するのは貧しい民とみられた。 鮗=忌み嫌われた魚で貧しさを想わせる魚とされた。現代ではコハダの小さいので高級魚となっている。

《頭に載せた箕には、鮗を載せて家路をたどる農婦が、飼っていた牛を弔って草を手向ける夕暮れ》

○前句の風雅の情景から、牛捨て場といい忌み嫌われた鮗といい、侘びしさがつのる句の行方である。

 35 花の定座