連句表紙頁

自己解釈

捌き 浦霞 影左

ご新規さまをお迎えしての新巻の捌きのご指名にどこまで堪えられるものか不安の風が吹き渡ります。
 
 それでは、不易さま、お手柔らかに滑り出しの発句をよろしくお願いいたします。

1,お忙しいところ大変なお手数を煩わせて恐縮です。宗匠方お引き受け頂き誠に感謝申し上げます。ご新規さま早々にビビって、ご辞退などと申しておりますれば、早速に取り込んでしまいませう。と云う事で、拙い発句でご無礼申し上げます。
酒肴=趣向に掛けての、まづは一座へのご挨拶に存じます。
当座、秋からの始まり故、月の座を引き上げて、宗匠さまの月の句を妨げずに「良夜」=「中秋」と時期を定めましたが、如何でございませうや。
 前巻は巻き上がるまでに、夏の汗だく数ヶ月にもわたりましたが、涼やかな秋に入りましてのこの巻は、滑り出しはなめらかに、かつ新規さまもお迎えしてのお祝い気分満載の不易さまの発句をいただきました。
 ふつつかな宗匠役で皆さまのお力にすがりながらの一巻、どうぞ、よろしくお願いいたします。

2, 挨拶句にまこと相応しい新規一座の賑わいをも誘い出す心温まる見事な発句に、満月の月上がりが祝宴をいやが上にも盛り上がらせます。
名月の引力のせいか徳利が宙を舞うほどの賑わいとなりました。

3,宴会が続きましたので、第三句は転じて、宴の果て、昼の景。
夏の賑わいも去り、風も澄んで涼しさを運ぶ隠岐の島の静かな海。
去った人の面影を伝えるように、小さな浜菊が人知れず咲いています。
発句に「かな」を使用時は、第三句は「にて留」を用いない約束が
あることはありますので、ここは避けて体言留めにしました。
 発句、脇の内に篭った賑わい空気からさらりと視野を転じて日本海の秋に飛んでいただき、主観世界から秋らしい客観世界へと広がりを演出していただきました。
 日本海の海は、蕉翁の有名句「荒海や佐渡によこたふ天の川」では、広大なスケールの空間に詠み上げられていますが、浜風が透き通って見えるこちらの句は、浜辺に咲く菊の花びらとともに揺れる奇麗な女性が髪を秋風が揺らしている情景に、透き通ったボサノバの旋律が聞こえてきそう。現代的なロマン漂う一句です。 
 ここには、また、一座にお迎えするルーキー登場を歓迎する濤青さまの 優しい心遣いがじんわりと感じられます。
という訳で、いよいよ、初登場を賜ります鞠子さま、ようこそ歌仙の愉しみの輪においで下さいました。
 第四句は、発句から三句まででそれぞれのお役目が一通り済みましたので気張らずにかるがるとがよろしいようで、自由闊達にお詠みいただれれば嬉しゅう御座います。

4,海がとても静かなので、海を監視する人もお昼寝をしてしまっている。という句です。 鞠

後見人:■易愚見 迂生などはついつい隠岐といえば後鳥羽院の幻の源氏絵巻定家本やら後醍醐帝をはじめとする遠流の島のイメージを想い描きますが、さすがはお若い方の句は違います、幅が広い。
居眠りあるいは昼寝をしている人とはどのようなお人なのでせうか。
灯台守?保安庁の巡視船?それとも竹島辺りの彼の国の方?
もっとも隠岐は古代より国防上の要衝地、僻地のわりには延喜式内社が十五社もあり、うち四社が名神大社にランクされています。
麗々とした中にも、なにやら国際的な緊張したものも伺えます。
最初の句ですので、余計な口出しは差し控えました。そのまま
をお送りいたします。何卒、宗匠さまの暖かきご指導を願い上げ奉ります。易
元弘三年(1333年)後醍醐帝は隠岐の島を脱出して、鎌倉幕府倒幕、建武の中興となります。幕府の命で監視を行っていたとされる「見付島」というのもあるそうです。そうした故事をも踏まえた句と思われ奥深さが感じられます。青

 鮮やかなデビュー、鞠子さま、いただきました。
この大事な新人登場の場面を、(よちよち歩きの新米)宗匠役といたしましては、いかに捌けるか期待と不安のうちにお迎え致しましたが、早速に不易さまのご推薦、濤青さまの賛辞とあいつぎました。
ここで、すでに十二分に高い評価あり。
濤青さまがご指摘された鞠子さまの四句は、前句とつながれば、ふくらみとおくゆきを生み出す連句の妙味をすでに持ち合わせ、さらに女性ならではの明るい華やかさの句姿で、留守中の山穂さまのはやい復帰の呼び水をも兼ねたかのようです。
また一方では、サザン世代が喜びそうな現代感覚の感じられる眠りのおかし味が楽しい一句、ありがとうございます。

5,調子も音楽的であり軽々としたユーモアが好感をもてる四句から冬に転じて、秘湯の朝。
「麗らかな日和の紅葉を見逃したなぁ〜」なんぞと山の季節の巡りを語り合いながら皆で戯れた夕べの宴席のさんざめきは何であったろうか。
もう山間は、早い冬を迎えたのだ。

6,「しんしんと雪 山の朝」 か 「しんしんと 雪山の朝」 を採るかで少し迷いましたが、山住まいのお人の家の中と見定めました。
目覚めると山家の周囲には早、白いものが。どうりで今朝は冷え込むはずだ、土間に捨て置いた晩飯の残り汁が鍋の中で固まっている。
 しんしんと雪につきまして惑わせてしまいました。
よほど、注意書きを加えようかと考えましたが、手抜きでご苦労をおかけ致しました。
 しかし、正解のうちに、これまた音楽的に響きの良さが冬寒をきりっとひきしめた六句いただきます。
では、つづきまして鞠子さま、どうぞ折端の裏第七句をお詠みください。
 ここは、興を起こしておもしろくとなる場面ですがこれも気楽にお願いします。

7,季節は夏です。
あの冬の朝の煮凝りの味を求めて京都へ。
涼しい夜の川床から、板前さんたちの前掛けが風に揺れているのが見えます。
そんな感じなのですが、いかがでしょうか?
 「ちょいとお待ちを・・・」などとおっしゃりながら初登場の駒子さま、軽々と初折の裏入り七句目をきめてもらいました。いただきます。
 六句に詠まれた家庭の匂いあふれる台所の情景を
さらりと引き受けながら、舞台は、夏の京都へ。
煮こごりから濯ぎへと固まりを洗い流すようなつながりを仕立てました。
こんな面白味を隠し味にうまく添えて見せるあたりは、不易さまのお膝元で「連句に興味あります」と囁いたお人ならではの付け方だなぁとおおいに感心いたします。
 夜に洗濯とは、京都の女学生が遅くまでアルバイトをして帰宅後に汗だらけのジーパンでも洗っているのでしょうか、それとも年増の京女が着物姿で、「京都の夏は、暑うてかなわんわ」とか、独り言を発しながら旦那か誰かの浴衣でも洗っているんでしょうか?
揺れる前掛けが目に見えてきますし、夏の夜更けに洗い濯ぐ音とさらさらと流れる京都の川の音とが生活の和音を作って聞こえて来ます。
 ところで、昨日の日経夕刊の「明日の話題」に視覚型か聴覚型かというタイトルで哲学者の木田元先生が俳人の感覚について書いていました。皆さまも読まれていますでしょうか?女性らしい目と耳で視覚、聴覚の両方の感覚を楽しませる鞠子さまの句が、その記事を思い起こさせてくれました。
 それでは、濤青さま、男性らしい感覚を活かして八句をお詠み下さい。

8,男であれと、そそのかされましたので、八句目、勢い込んでまいります。
前掛けかけて仕事に励む人を見て見ぬふりで、遊びに精を出すていたらく。
まじめいっぽうでこの歳まで過ごしてきたのがいけなかったのか。
狂ってしまったのです。
怖いものです。
気をつけましょう。
ご同輩。
狂ってしまったのですから、当然、恋の句です。
この恋を成就して下さりませ。お次の方。
  三日に上げず・・・の勢いで、はやばやと恐れ入ります。八句、いただきます。
 男らしさも、筋肉隆々マッチョタイプの男子の姿ではなく色男タイプで登場いただき恋の呼び出しまで詠んでいただきました。
さて、句をよくよく見ますと、前句の「京」が発音上は「今日」にも
通じ、つまり三日にあげず、今日もこの川を渡って堤のある例の辺りを色男が通う毎日毎日のニュアンスが絡んで聞こえ長句、短句が手を取り合う仕掛けも恋の呼び出しならではと思わせます。
京都と江戸吉原の対比も鮮やかに場所移動を遂げ、こちらでは「ありんす」言葉でお出迎えの趣向が心憎いところです。
不易さま、花前に近づくとともに、京都から江戸へ転じて恋の呼び出しがありました。
思いのままに恋の句をどうぞ。

9, 深い!さすがに不易師匠の深さに改めて刮目、感銘を受けました。
直球でなく、切れのいい名投手の放ったフォークボールのような恋の句として九句いただきました。
 小野小町に百日間通ったら結婚してもいいと言われ九十九夜通って雪の日に埋まって凍死した深草少将。
片や、「花の色はうつりにけりないたづらに我身世にふるながめせしまに」
なんて歌で知られる小野小町にしても、年老いて乞食になった能の「小町物」に登場させられるなど振り返ってみると、恋の末を知らずやではあります。

10,せっかく、船や籠で三日にあげず通って空振りになったとしても「船つけて闇へまたげばきりぎりす」程度に落ち着くのがせきのやまの人間には、現世に生きる幸福感を、雛流しに興ずる娘達を見て人の成長に期待し、今日の命あることを楽しんでいます。
それでは、濤青さま、花をお詠みください。

11,では、花を持たせていただきます。
うららかな春の一日。過ぎ去るのがなにやら惜しまれる日です。風もなくとろりとした川面は一面桜の花びらで埋め尽くされています。盛りを過ぎた桜の最後の見せ場です。雛を流した娘たちは何処へ行ってしまったのでしょうか。
七句の京の川からなにかしら「川べり」が続いて来ていますので、ここいらは、川からは離れたいな、再考をおねがいすげきかなと思案しておりましたところ、すでに鞠さまが十二句目のご準備中というメール文がございましたので、このままで頂きます。
そういうことで、鞠さま、折端の十二句をどうぞ。

12,日ごとに日もながくなって、屋外での読書が心地よい季節となりました。
この花びらを栞に、ちょっとお茶休憩でもしようかな?そんな感じの句です。
 十二句いただきました。春のうららの隅田川を連想させる緩やかな花の句をすんなりうまく引き継いで下さいました。
 なによりも花の命を「知」の栞に挟み込むさりげない行為が、「永き日の」によって、“のんびりと”つつまれています。これで書の栞がきざっぽくならず、とろりとした春の陽光につつまれ句全体に温かみをあたえるのに成功しています。
「野べ見れば尾花がもとの思い草枯れゆくほどになりにぞしける」(和泉式部:新古今集)なんかを思い起こせば、花の命を見やる視線が好対照です。
「永き日」が、日照時間が長くなった春の季語としての日長となった一日を意味するばかりか、一生を永き日とみて《わたしは、この桜の花びらの命の美しさを心の糧として一生我が胸に挟み込んでいわば「命の栞」とするのですよ》と詠う青春の生命讃歌を奏でる、楽器でいえば心地よいハープ演奏が聞こえてきそうな句に見えます。

13, たまには誰にも煩わされる事なく若い頃に読み落としていた長編文学作品でもゆっくり味わおう出た旅先の宵。
 だいぶ読んだなぁ〜と自己満足しようとして旅館の窓外を見やれば、いやぁ〜まだ蛍がこの辺りには棲息していました。
 読んでいた本の世界から山の宿で起こった昔なつかしの夏の幻想の空間に心が引き込まれてしまいました。
 やや前句に読書続きで付き過ぎ気味でもありますが、季節を変える事で逃げてみました。

14,「螢雪」の故事も浮かびましたが、また「タデ喰う虫」も江戸俳諧の伝統ですが、月並みなのでパスしましたです。しょう事なしに、泊った宿屋の来歴を匂わせる程度の遺り句でご無礼仕りますです。
 さっそくの十四句いただきます。
本陣は、本来の意味からポップ、ステップ、ジャンプといろんな意味に広がって使われていますが、ここは、大元の戦場本営としての本陣か次に転じた宿場の本陣かのどちらか由緒正しい本陣ですね。
 そこには、後世に語り継ぐべき昔話がアーカイブされています。
 蛍を見て電気を消す私小説世界から戦国の国づくりを巡る
歴史物語世界へと大きくスケールアップ。
 いまや本陣は、温泉宿や割烹料理店、果ては、パチンコ店から様々な遊興場面にまで多様な使われ方で本来の意味が定かでないくらいですが、今晩の集まりの場も、一つの本陣。
 鞠子さま、十五句をメールでお詠みいただくのもよし、十一月の連句本陣の席でご披露していただくのもよしです。
 その次に月の定座が控えておりますので、秋をお詠みいただければ幸いです。

  お疲れさまでした。
昨夜は、新メンバー参加のためかいつになく、連句原論のシンポジウム的展開に相成りました。
鞠子さまのつっこみ《連句って何?》がなかなか厳しく両巨匠がたじたじとなった場面が何度か見られて自分自身が、新参加した頃には聞き出せなかった話がたくさん聞くことができて私もたへん勉強になりました。

 鞠子さんに紹介した岩波新書(と申しましたが岩波だったか確信がありませんが新書本ではありました)のタイトルを念のためもう一度お知らせ致します。
「歌仙の愉しみ」です。
この本は、連句の句会をそのまま平明に記録したものでそれぞれの句の発想から解釈まで互いに語り合う様がドキュメンタリー風に書かれているものです。

 こうやって楽しんでいるんだというところがよく見えたり有名な俳人もこんな単純な発想で詠んでるんだとかなるほどなるほどこういう事はこう詠むと面白くなるんだとか納得出来るところが、たくさんありました。

15,目を凝らせば縁側のあちこちには無数の傷が残されています。
この庭の草木たちは、それら一つ一つの物語を見つめてきたのでしょうか?そんな感じの句です。
 十五句いただきます。
草紅葉など渋い風情で本陣の昔話をさりげなく受け止め秋に運んでいただきました。
 庭先から見える野草たちの優しくたおやかな姿に矢の痕跡が鋭く突き刺さるような対比が縁側周辺に緊張感をもたらしています。
 どこか「雨月物語」の世界を彷彿とさせる異界の気配さえ漂うシーン作りは巧みに計算されたものか、詠み人本来の持ち味なのかこれからが楽しみです。

16,矢玉の後の残る縁側に座り、いにしえに思いを馳せていると、澄んだ秋空がどこまでも高く、そこに鴫とおぼしき渡り鳥が、南を指して飛んでゆく。いにしえから変わらずに続く自然の営みに、人の世の儚さを慨嘆する。
次の月の座に配慮して、いかようにも付けやすいように淡々とつくりました。よしなに。
 鴫といえば、
「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」(西行)がありますが、人生の寂寥感が漂う西行の歌に比べて、濤青さまの鴫は、きっぱりと澄み渡る青空に舞い上がった鴫。
 十五句の縁先に草紅葉の茂る地面を離れ、人の世の儚さも人事をも捨て去って、からりと晴れ渡った秋の大空に気持ちが吸い込まれてゆきます。
 月の前句の視線は、地上から天空へ。
月の定座に参ります。不易さま、よろしくお願いします。

17,西行の俤を継いで定家。三夕の本歌取りで取り敢えずです。
スミマセン。会社にいるよりも忙しいです。もっとも年内いっぱいの事でしょうが。年が明ければ暇を持余す事になりそうです。
不易さまの月の句いただきます。
 鴫に連れ行かれて空の高みに駆け昇った視点はそのさらに高みに昇る。明日は満月にならんとする小望月がやわらかな光を夕暮れの粗末な小屋に投げかけている。住まい人はかなり謙虚なお人らしい。自らの居場所をひどく謙遜して苫屋と話しますが、心は広い。
 月の呼び名を新月から満月まで何通りもあやつる日本人らしく明日姿を現す満月の顔を期待しつつも、今夜の小望月を楽しむ。
 日々スケジュールに追われて過ごし、今日も夕暮れて月の明かりにホッと我を取り戻す。
 定年を迎えられた不易さまは、あの定家の歌「見わたせば花も紅葉もなかりけり裏の苫屋の秋の夕暮れ」を自詠の歌のように味わっているのではなかろうか。
あたかも熟成した上質のウィスキーを味わうような心境で・・・。
と、心に沁みわたる月の句を受けて続けます。

18,差し込んでくる小望月の明りに誘われて、部屋の奥から取り出したのは大事に仕舞っておく墨と硯の入った小箱。
さあ、この心境をなんとしたためようかと擂る墨が次第に濃くなってゆく。その様子を照らす月明り。夜半の静寂の時間です。

19,早いもので名残の裏となりました。
最後の六句ですので、気張ってと思いしやの十九句です。
幽玄な墨をする夜半と、現代の軽く儚い若者風俗とを、あへて同時刻でオーバ ーラップさせてみました。
午前二時の語調、結構気に入っています。フランク永井さんへの鎮魂も兼ねて。
補足でございます。特にお若い鞠子さまに。
先頃亡くなったフランク永井の歌(東京午前三時)に「・・・午前三時よぅぅぅ〜」と低音を響かせるフレーズがありました。それを取り入れた次第。
 紙と墨の時代からテクノロジー発達の電子時代へ一飛びです。句の調子も軽やかなリズムで流れ、「午前二時」で華麗な鉄棒演技の着地のごとくピタリと決まって心地良い。そのなかにフランク永井への鎮魂の思いもこるといいますからちょっぴりレトロも隠し味になっているのですね。
 と言う訳ですが、お若い世代の鞠子さまにはフランク永井の甘く切ない低音の魅力についてご存知あるかどうか定かではございませんが、鞠子さま、いよいよ次の二十句と二十三句の二句を残すのみとなりますので楽しみながら、思いのたけをお詠みください。

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