自己解釈
評者 不易
1, 新巻の正客の座を宗匠さまより賜りましたので、未熟ながら第二回目の発句を詠ませていただきます。
濤青さまに仕立てて頂きました、時と場所を得ての盛り上がりを堪能いたしました講評会の余韻を織り込みまして。
木の芽時を過ぎた頃、若葉の緑が萌え出し田園あたりの昼間は清々しい風が吹き渡りますが、夕闇が訪れる時間ともなりますと、田の畦道や庭池の畔に咲き揃う燕子花の濃い紫の色が、様子を変え、赤ワインのように深みと妖しい香りを放ち始めます。
片や、都会、特に銀座界隈のレストランあたりでは、赤ワインを空け、身も心も燕子花色になって酔い心地に身を任せるや、人々皆競うように喋り出すさまは、花々が咲き競うがごとき華やかさを醸し出します。
とは申しましても燕子花色に誘われるままに溺れ、余りに酔い過ぎても危険です。宵の風にちとばかり吹かれて酔いを醒しましょう。まだ先は長いのです。用心用心。初夏の句です。
いかがでしょう?宗匠さま、お手柔らかにお願い申します。
影左さま そうそうに発句を有難うございます。
解釈にあります、咲き競う花と都会の雑踏との対比も興のあるご視点、面白く拝見いたしました。頂きます。
燕子花といえば、その艶やかさが万葉の昔から詠われている古典の名花ですね。匂ふ(に ほふ)、佐紀(さき)という枕詞まであります。つとに名高いのは『伊勢物語』の東下りの段でしょうか。「か・き・つ・ば・た」をそれぞれの句の頭に配して一首を構成しています。古くから和歌には兼題式に名をあげてから、それにあわせて詩を詠むといった遊びがあったようですね。
金春禅竹作の能『杜若』は、この業平のエピソードに題材をえた出し物で、杜若の精の艶やかな舞が評判をとったと聞き及びます。また、この場面、三河の国の八つ橋の情景を屏風絵に仕立てたのが、かの傑作、光琳の『燕子花図』とも聞いております。
このように、燕子花といえばすぐにその艶やかな色彩が浮かび上がってきますが、ここではあえて「色」を花の名に冠しています。蛇足のように見えますが、実はここにこの句の秘密あったのです。この「色」を付けるとによって、宵闇の中で変化する微妙な花の色合を読む側に喚起し、花の色目に注目させる効果が生まれています。群咲く花の一つ一つに個性を見る繊細な視点が感じられます。結構でした。
それでは脇句、山穂さま。よろしくお願いもうしあげます。
2,新たな巻の始まりに、お慶びを申し上げます。
宗匠さま、皆さま、引き続きあたたかきご指導をよろしくお願い申し上げます。
それでは脇句、まいります。どうしても酒酔い人が出てきてしまうのですよねー。
影左さまの美しい色の世界を継いで行くのは難しく、逆に滑稽なイメージばかりが浮かんできてしまいます。どうぞご勘弁くださいませ。
酔いを覚ましながらの帰り道はお気をつけくださいませね。池の畔など歩いて落ちませぬように。やわらかな蛍火が宵の風に乗って道導になってくれます。酔覚ましのお茶などを準備して、無事のお帰りをお待ちしておりますから。いかがでしょうか。
同季同時刻、二句一意となる様、爽やかに前句に寄り添えて、かつ情緒ある綺麗な主客の挨拶となしております。申し分ありません。頂きました。
通常、茶は「点てる」を用いますが、ここでは「立てる」としています。これは「宵の風」に乗せて「蛍を放ち」愛しい人の帰りを待つ風情ですので、「茶の湯を点てる」では少々 とりすました感が強くなってしまいます。人待ちの物憂い感じと期待感をこめて、お茶 用の湯を沸かしているさまに捉えているので「茶の/湯を立てる」としているのです。 また、「点」の字は「点る」で上の「蛍火」にかかってしまう煩わしさをも避けています。中々に計算された風情ある亭主の挨拶となっています。結構です。
立句、脇とも句姿からは「呑んだくれの酔っ払い」などは登場していません。ご安心を。 それではお待たせしました。濤師、第三の位をお付け頂けますよう由なに。
3,客と亭主のやりとりは誠に優雅でこの巻の格調高き行く末を決定づけるのでは と思われます。外から室内へのスムーズな展開も見事です。
それでは、三句目としては、大きく外へ出て場面を転換せねばなりません。そこで、作ってみたのが拙句でございまする。
お歴々の集う茶の湯の席は、何ごとか大きなことが決まる場として機能してま りました。今回のそこでの大きなはかりごととは、国を挙げての一大プロジェクトでありました。蛍の怪しき光はまさに黄金色。その黄金が眠るという噂の真偽を正さんと、波 濤遙かな西の国へ。コロンブスは紅茶の席で派遣が決まったとかの言い伝えがあったような無いよ うな・・・・。いかがでござりましょうか。
濤青さま 速攻痛み入ります。
第三、転換の句。プエリト・デ・パロスからの賑々しき旅立ちの趣、頂戴します。港を埋め尽くす壮行の人垣。前途洋々たる船出の様の裏には、密室の謀議があったようです。そうなると、前句の「蛍火」はなにやら人魂売りが背に負う網袋の中の妖光のようでもあります。話題を広げる軽やかな佳句、頂きました。
4,つづけて第四。仔細にかかわらずすみやかにの位。継がさせて頂きます。
葉月はマンスでムーンではありませんが、定座の前に月の文字を出してしまっています。この場合には、定座では月の異名をあげて月の代わりとするのが定法ですが、直前の月文字では余りに不作法に過ぎます。上のように訂正してお詫び申し上げます。山さまにはご迷惑をおかけしました。これもひとえに月を慮っての事、けして難題を持ちかけた事ではございません。お許しくだされ。
5,大変長らくお待たせしてしまいまして、誠に申し訳ございませんでした。
苦吟いたしましてようやくたどり着きました。いかがでございましょうか。
宗匠さま、どうかお手柔らかにご指導をお願い申し上げます。
読みを間違え足止めをくってくれて大正解なり。こうなったらこんな所にいられない。暢気な奴等を後目に、大潮のもたらした塩を密か巧みに作って一人勝ち。運の尽き、ではなく、幸運の月となり。瀬戸内辺りのイメージが浮かび、江戸時代の塩作りに使われたという石釜を引用しました。
ご返事遅くなりました。月の句、頂戴いたしました。
黄金を求めて出立しただけあって、片時も蓄財に余念がないようです。起業家を志す人の何と多い事でしょう。待てば海路の日よりありの喩え、あまりあくせくせずにゆったりと時を愉しめるといいですのにね。
もっとも、前句と合せてのこの句からは、そんなせちがらい感は受けません。むしろしっとりとした情感が滲み出て、月夜の浜辺と銀波の織り成す凛とした澄んだ景色が浮かびます。結構でした、頂きます。
「鳴らす釜」といえば、吉備津神社の釜鳴り神事と云うのがありますね。湯を沸かしてその沸騰する音から吉凶を占うという古来からの祭事です。竈の地中深くには熊羅(ゆら)という鬼が封じ込められているとも。須磨の浦の藻汐焼くよな王朝和歌の風情に、余計な連想のオカルチックなお話で失礼しました。
6、 黄金の出立、蓄財の釜鳴らし、ダイナミックな進取の精神みなぎる皆さまのあとを受けまして、華麗な文化を咲かせた時代への郷愁を備前で拾ってみようと思います。
先週末、備前焼の里を撮影業務のための下見にスタッフと同行、桃山から江戸の末期頃まで続いた大窯史跡を案内されて、たくさんの陶片の山を 踏み分けてまいりました。
月影に塩成金を目指す男の姿あり、いや、時代の舞台に登場しなかった女傑かもしれません。瀬戸内の潮をたよりに、幸運の月を味方に、大もうけの夢を追う塩づくり。
その瀬戸内の浜からほど近い備前の里山では、昔から、塩を入れたり、醤油を運んだりする大壺を陶工たちが焼いていた備前焼の窯が煙を上げていました。
やがて、茶の湯の茶碗としても千利休や秀吉に愛好されたという備前焼は、桃山時代を一つの頂点に輝きを見せたと申しますから、今でも、桃山を目指す傾向もあるようです。
しかし、大窯跡の陶片を見る素人目には、どの陶片も同じに見える。商いや家庭の雑器に盛んに使われたとおぼしきもの、茶席でもてなしのこころを育んだもの。商人として、あるいは天下取りに生きた人々の身辺に登場するはずだった焼物のいずれも、今は、彼らの夢破れて、こなごなの破片と散ったイメージように見えます。
秋ともなり、せめて紅葉したもみじが、欠け落ちている陶片に、鮮やかな紅や、渋みを帯びた赤茶色の模様をちりばめてくれれば、華麗さを越えた桃山のわび、さびの幻影を感じとることができることでしょうに。
宜しく、お願い致します。
影左さま お忙しい内、早々なる折端、痛み入ります。
栄枯盛衰、盛者必滅。人の世の儚きさまを陶片に託してのご感慨。まことに結構にございます。頂きました。
備前の焼きは確かに侘茶の風情ですが、桃山の華麗には敵いません。
当時、茶器としての国焼の無い本朝においては、千の宗易さんはじめ、師匠の武野紹鴎先生やらお弟子の山上宗二はんなど、堺の商人連中は皆、桃山の壮麗に対抗して、呂宗の日常雑器の質朴な侘びた壺を愛でたといいます。ここに目をつけて信長に取り入り、一っ発当てたのが、今井宗久と手下の呂宗助左え門であったと言います。後にこのヒット商品を国内生産し、磁器に近く、弥生人の好む(日本人好みの)素焼の趣のある、火力が強く腰のある薄手の陶器として備前焼が注目されたと云うことです。
長々、影左さまの陶片と吉備乱遊? からの連想での思いつき、ご無礼致しました。 では、続けます。
7,あの時、新たな指針を与えてくれた老師。再び迷って訪なえば、既に荒れにし古き寺。深山、錦秋の降りしきる古寺の井の端に、冷たく光る陶片。そそとした秋風にも土塀が朽ちる。朽ちた土塊が古井戸に舞い落ち、さほど深くも無い井の底に、深く冷たい木霊が響く。
てなところどす。嘘ばっかで恐縮です。続き、濤師願いあげます。
裏入り、何卒、大いなるご変化ほ。今巻、格調高まり過ぎですね。
8,表はかなり時代がかった風情でしたので、転調を心がけてみました。
破れ寺で感慨に浸っている間こそあれ、塀の外には、嬌声を上げたコスプレ娘 の一団が通って、現実に引き戻されてしまうのです。
それにしても今の娘の声はどうしてあんなに高くて大声なんだろう。互いに叫 びあっているようだ。女子アナもシャウトしている。おばさんは昔からシャウトしていたなー。
居酒屋でもそうだが、少し静かに過ごす時間がほしいな。
季は雑ですが、なにやら賑やかしく、初夏の明るい日差しをも感じられます。傍迷惑も若さの特権なのでしょう。「幼稚も無邪気と摂れば腹も立たぬわ」 優しいまなざしも感じられます。
『里人はさともおもはじ女郎花』 蕪村 塀の内と外では日差しの照り方も大分異なるようです。変調、否、転調の句、頂きました。それでは影左さま、引き続きよろしくお願い申し上げます。
皆々さま、釈教と片仮名で裏入りしました。このまま名残の表まで、思い切って変化に富んで面白く、一気呵成にご進行遊ばされますよう、お願い申し上げます。
9, またまた、先日の岡山行きの折りの話題の連続で恐縮ですが、
単線赤穂線で伊部に向かう途中、長船駅に停車致しました。備前長船の里にございます。
駅名の標識の横に「備前長船刀剣博物館」の案内写真が大きく掲げてありました。
時間が許せば覗きたいなと思いましたが、叶わずに帰りました。
ーーーと、まるで、長船の名刀(どんな名刀があるかは知らないのですが)にも劣らぬ切れ味による濤青さまの世相切りの八句に出合うことができました。
今は昔、幸い我が身を名刀で切り捨てられる心配はなくなりましたので、のんびりと九句に向かいます。
コスプレ娘は、自分たちの世界に陶酔することで何かしらの優位性を示そうとするのでしょうか?。
秋葉原の街などを生息地にしているらしいのですが、新宿、原宿、渋谷あたりにも出没しています。
彼女たちの声高なおしゃべりは、動物世界を髣髴させるほどですね。
生存競争の過酷な赤道直下、タンザニア、ケニアにある動物保護区に棲息するヒヒの娘たちも同じようにやんちゃです。
保護区と言えど猛獣と同居、油断はできませんが、今日のランチは、果物をたらふく食することが出来たことだし、樹上で、昼寝、キリマンジャロの峰を白くしている雪が降ってくる夢でも見ることにしよう。
幸せな時間をむさぼるヒヒの群れの午睡。
いかがでしょう? 季を冬とするに多少、無理がございましょうか? 宗匠さま、よろしくお願いいたします。
影左さま 速攻恐れ入ります。頂きました。なにやら騒然としてきましたが、愉快な展開ともなってきました。マントヒヒならばコスチューム・ブレーは地でゆける力量充分ですね。前句の世事ものに、ひと捻り加えた軽句で応えて次句への展開に委ねています。結構です。
濤青さまの切れ味鋭い世相斬りの一閃を備前物に喩えてのご感慨、まさにそのとおりですね。いやはやこの手の句では毎回舌を巻きます、中々に敵いません。洒脱な俳画も添えて頂きました。味わい深い軽妙な筆捌き、感服いたしました。
備前長船は美濃の関と並んで刀の代名詞のようになっていますが、どちらも名人・名工と謳われる多くの刀鍛治を輩出していますね。関といえば三島由紀夫の介錯に使われ益々名声(?)の上がった「関の孫六」。かたや備前物の数ある名工のなかでも一際人気の高いのが「兼光」。かの鎌倉の名匠・正宗から相州伝の秘技を得たともいいます。影左さまがお寄り出来なかった長船の博物館には、きっと美術工芸品としても優れたものが多いのでしょうね。まぁ、美しいといっても物騒な代物です。
迂生は「孫 六、兼光、正宗」などと聞くとつい刀の名よりも先に喉の方がゴクリと鳴ります。都内23区の内では唯一の地酒の銘も確か「丸真正宗」でしたよね。
ところで九句の季の扱いですが、遠くキリマンジャロの冠雪を望むとはいえ、この句 の「雪」には実体が希薄です。ここは雑といたしましょう。
因みに、ナイロビ国立国語研究所監修の『東部アフリカ歳時記』によりますと、「狒々群 れる」「猪群」は”乾季”、「獅子群れる」は”常夏”となっておるようです。ハイ。
それでは、お待たせしました、山穂さま。雑が三句つづきました、秋以外の季移りで お願い申し上げます。花前です。由なに。
10,宗匠さま、ナイロビ国立国語研究所監修の『東部アフリカ歳時記』、面白いですね。
とっても興味深いので、またご披露いただけますでしょうか?
涛青さまの俳画、素晴らしいですね。なんだか心がホッと穏やかになりました。鼻の形ですが、やわらかな線なのにインパクトが凄いです。強烈に残りますねー。次の作品を是非、拝見したいです。
皆さまの奥の深い感性には感服いたしました。もう、追いついて行けまっしぇん。
それでは気を取り直して、花前まいります。
夢ははかなく石鹸玉のよう。消えるとわかっていてもまた追いかけてしまう。それでも今日もまた、ふわりふわりと夢の浮き世を追いかけて行こうか。いかがでしょうか。
儚き夢をシャボン玉に喩えて、花前としての春への季移り。お心遣い、いたみいります。結構です。頂きました。
「ふわりふわり」は「石鹸玉」の形容で、一瞬、同義の反復による煩わしさがありますが、最後の「追う」でこの「ふわりふわり」がシャボン玉ではなく、それを目で追うのか、体で追うのかは分かりませんが、石鹸玉の飛ぶ先を追う人、または前句からはヒヒの動作、心の動きなのだと云うことがわかります。締めの一語が利いています。山穂さまお得意の手法ですね。それでは、お待たせしてしまいました、濤師。枝折りの花です。
11,花前句のゆらぎの雰囲気を受けてふらふらとまいりまする。
シャボン玉を追って走る子供は、いにしえのわらしべに結んだ虻を欲しがる子 供となんら変わるところがない。
わらしべ長者ゆかりの寺は初瀬の長谷寺。往時から桜の名所で、山肌の桜に囲 まれるように鎮座する巨大なご本尊十一面観音はあたかも花の錦をまとったように見えます。
ご存知わらしべ長者の物語は、『今昔物語集』にあります。
身を粉にしても浮かばれない貧しき者への観音の慈悲の訓話のひとつで、現代 では、何もせで濡れ手で粟の金儲け話と捉えられていて、世相の軽佻さを物語ります。
七句に釈教がありますが、四句去りでの出現、仏に免じてご慈悲を賜りたく伏 してお願い申し上げます。
濤青さま 早々の枝折りの花、有難うございます。頂きました。
たゆとうとした花霞に滲んだ長閑な春の大和路の風情、結構に存じます。
初瀬・長谷は古称を「はつせ」と云ったようです。上古、この地に置かれていた京、泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)の名から転訛したといいます。また、長谷寺は天武天皇の頃の創建で、後に京都の清水寺がお手本とした如く、古くから女性の信仰を集めていたとも聞きます。花は桜と並んで牡丹の名所としても有名ですね。ついでですが、迂生はここで紀貫之が手づから植えたと伝えられる名木「ふるさとのうめ」を十年程前に採集しましたが、今見てもなんら普通の梅です。和歌も巧くなりません。
ご存知わらしべ長者の出典が『今昔』にあったとは、いまさらながらの不明を恥じ入ります。 『宇治拾遺』はよく繙のですが、『今昔』は拾い読みでしてなどと言い訳しながら、わらしべ長者の物語も観音力の大慈大悲のお話とは露知らず、「ちくしょう旨い事やってやがる不届きな野郎だ」と思っておりましたです。わが身の軽佻浮薄を反省いたします。有難う御座いました。
「釈教四句去り、仏に免じてご慈悲を賜りたく」――何を仰せか、こちらこそ仏の慈悲の深さをお教え頂きました。なんなくお通し申し上げますです。
12,では、続きです。
わらしべ長者にあやかって、大和古道のみちの端に顔を出した土筆を摘みながら、長谷寺と同じように女性に人気の隣里、女人高野として名高い名刹・室生寺へ。と、別にお寺さんには拘りませんが、気分が少々、打越ぎみで恐縮です。路を急ぎます故、お許しください。
皆々さま、お蔭様で、半紙を越えました。名残の折に入ります。句は四順目となります。引き続き、お忙しいなかなれど、ご助勢頂けますよう願いあげます。
それでは、名残の表へと進めます。山穂さま、よろしくお願い申し上げます。
13,それでは十三句、まいります。
目的地へ抜ける曲がり角には湯屋が見える。寄り道はつきもの。ちょっと汗を流して行こうか。あれまあ、数えるのも面倒なほどに名人を気取る人で溢れている。土筆採り、山菜採り名人も。お次は何でしょう?そろそろ筍名人もどこからともなく、吹き出して来るのでしょうね。宗匠さま、いかがでしょうか。
山穂さま ご返事遅くなりまして恐縮です。十三句目頂きました。旅の途中か散歩のついでか、鄙びたいで湯か村の共同浴場の趣、結構です。「溢れる」は大勢の人と同時に、お風呂の湯量にもかけているようです。温泉であれば、前句の室生は大和の地ではなく別の場所に移したようです。はたまた、京や奈良ではの釜風呂であったのかも。一風呂浴びて、室生へ抜ける道中とも。次句への想いが広がります。頂きました。
それでは、続きまして影左さま、よろしくお願い申し上げます。
季は秋をお避けくだされば春夏冬雑いずれでも結構です。
また、影左さまは今週から再び備前へ向かわれた由、長期の取材、撮影と聞きましたが、お忙しいことと存じます。ごゆっくりとのご返句で結構です。よろしく願いあげます。
山穂さま 濤青さま 影左さまご出張ではありますが、パソコンご持参の故、存外早くにご返句あるやもしれませんが、暫し俳画にてご歓談のほどを願いあげます。
濤師の第二連句絵はなにやら江戸の判じ絵のような事になってきましたです。迂生はヒント1から「虻足(蜂)とらず」と判じましたが、いかがでしょうか。迂生も日曜日の昼下がり、濤師に触発されて、鉛筆画で今巻の中から何枚か二句一意になるよう描いてみましたが、ムズイ。でも楽しいものですね。編纂中の「俳句いろは歌留多」も中々に進みませんが、連句絵も少し続けてみましょう。易
14, 皆さま、備前方面に地方巡業で出て参りましたが、天候その他の諸事情にて舞い戻りました。
その間、濤青さまのシャボン玉俳画が、盗作さえも不可能なユニークさを描き込まれての絵解きで一座は、楽しさあふれる盛り上がりにございますですね。
この良き雰囲気をぶちこわしにならないように、十四句を続けたいとおもいますが、うまく参りますでしょうか?
ひいふうみは、土筆や山菜採りの数の多さを競っている数なのでしょうか、 あるいは湯屋にあふれる名人たちの数なのでしょうか。
名人達が温泉につかり、湯に浮かべて自分の手をねぎらうとともに自慢し合ってる、和やかさ。勝ち負けもあるわけではなしに談笑の声が湯屋に響いて聞こえますが、
さて、こちらは、中世ヨーロッパ。リュートの腕を競っては、王侯貴族に寵愛され宮廷を渡り歩いているリュート弾きなる名人達は、その手で妙なる調べを奏でることで自らの人生の幸運をつかみ取ろうとする競争相手同士でもあります。
山菜を摘む手の競い合いから、楽曲をつま弾く手の競い合いへと移行しました。
宗匠さま、宜しくお願い致します。
影左さま 東奔西走、お疲れさまです。十四句頂きました。お忙しいところ有難うございます。長閑な雛の景色から、欧州の優雅な中にも権謀渦巻く宮廷内に景を移して頂きました。前句の人物の、句には登場していない手元を見切って、リュート弾きの繊細な指先に置換え、想いを広げて展開して頂けました。結構です。リュートは、遠くペルシャに起源を発してアラビアに継承され、後に中世ヨーロッパに伝わった楽器と聞いております。マンドリンの大きいヤツですよね。本朝では近縁の楽器としては琵琶ぐらいでしょうか?「ゆく春やおもたき琵琶の抱心(だきごころ)」蕪村の王朝好みに迎合して、十五句、続けさせて頂きます。
15,前句の手元を継承。「きぬぎぬの使い」は逢瀬の後の使い文。恋人同士の間にはいって歌や手紙を届ける人。ここでは、その仲介を引き受けたリュート弾き。前句は宮廷を渡り歩く楽士のようですが、こちらはお抱え奏者。宮廷の回廊を渡って楽器の代わりに主人の手紙を携えてゆく風情。その手には文に添えられたおみなえしの花が。
小野頼風の風聞を元に創作された謡曲『女郎花』によりますと、頼風の心変わりに失意した京の女人が放生川に身を投じ、その時着ていた衣が朽ちて女郎花になったと云います。差出人が男であれば「頼風のようにはなりませんよ」というメッセージ。女であれば「そんなことしたら死んでやる」という脅し文句ともなる花言葉。今巻、恋が出てませんのでこの辺で。月も控えておりますれば秋にしました。
それでは、十六句、濤師お願い致します。秋+恋で続けて頂けるとありがたいのですが。飽きが来いではありません。為念。
16,では、恋がご所望とのおおせ、今様に、ゆるい歌詞の如くに。やはり頼風さんだったようですね。
ゆるッ!もう少々艶めいたものを期待いたしましたが、次の月の出を縛るような重いものでもいけません、この位でよろしいかと存じます。句意、恋の成就とはなりませず残念な結果になったようです。 頂きました。
では、月です。影左さま、お願い申し上げます。
17, 女郎花はうてなを揺らし、恋人岬のひとり風も気品にみちてあくまでも柔らかに、あくまでも美しく吹きゆく秋風と甘美な文学世界人間社会が続きました。
秋風の漂いを曵きながらも、少し、離れて自然界の生の営みを覗いてみましょう。
長野県戸隠の山間に「鏡池」という名の実在の池がありますが、ここでは、特定の池ではなく、周囲を雑木に囲まれ水面にその木立の姿をゆらゆらと映し出している手鏡のような小さな山奥の池をイメージしました。
秋風のそよぎが、夕闇訪れる湖畔に忍び足で出て来た鹿の両耳をかすめて行く時間。山の湖は静寂の中。 「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき」なんて気のきいた歌を詠うのは人間世界での心模様。 われわれ山中に暮らす獣たちは、必死です。
それぞれに自分のDNAを引き継ぐ次世代確保の仕事があるのです。
その為、鏡池に男前を映してしっかりおめかしする必要があるのです。
次第に暮れ行く湖畔に、早く月が昇ってくれないことには自分の姿が確認出来ないじゃないか。 待ち望んだ月明かりに映える自分が満足出来たら、あとは、紅葉の峰々に向かって歌声のように素敵な声で鳴き声を上げるだけだ。両脚を地面にしっかりと踏ん張って、秋山に響く鹿のテノール!人間さまには、異様に聞こえると言われようが、この鳴き声じゃなければだめなんです。
いかがでしょう。宜しくお願い致します。
影左さま 早々にての月の句、有難うございます。頂きました。
孤愁漂う海辺の景色から、奥山に人知れず鏡の如く清水を湛える小さな湖の景に展開して頂きました。結構です。鹿の鳴き声は古来より秋の哀調を表す題材として多くの歌に詠まれてきましたが、ここでは和歌の伝統を踏まえつつも鹿の「声」ではなく「脚」としたところが俳諧。なかなかに結構なご首尾に存じます。
因みに、所変わって唐土では、鹿は帝王の位をたとえる事に使われるそうで、本朝とはだいぶ趣きが異なります。『晋書』の「鹿死誰手(しか・たれが・てに・しする)」は乱世の中で天下は誰のものになるのかという譬えで、帝位を鹿で表しています。
また、鳴き声は「鹿鳴」。これは『詩経』の中の編名で、群臣や賓客をもてなす時の宴会の詩なのだそうです。後、唐代になりますと、科挙に及第した者を都に送り出す宴の席でも謳われたとも云います。本朝・明治の御世の社交クラブ「鹿鳴館」の名もここに由来しています。
ついでに、声の主についてですが、牡鹿とするもの、牝鹿とするもの双方あるようです。和歌や俳句では大方「妻恋い」として牡の声とするものが多いのですが、「鹿笛」などを辞書で引きますと、猟師が牡を誘き出すために牝の声を模したものとしています。
まっ、どちらも鳴くには違いがないようで。影左さまの十七句では句の表には出ていませんが、牡鹿とのことのようです。
それではお待たせ致しました山穂さま、よろしくお願い致します。
18,十八句目、遅くなりまして申し訳ございません。心新たに、よろしくお願い申し上げます。やはりもう一句、秋を出しました。いかがでしょうか。
「星のきらめく天空の破片」と言われるラピスラズリ。ようやく自分だけのウルトラマリンブルーが出来上がった。思わず筆にとり、自分だけの青を星空のキャンバスに向けてみる。天地の美しさがお互いに、まるで鏡の役割となって映し出しているように見える。
鏡のように澄んだ水面に映る夜空の星。天空と清水と深山の宵、そして絵の具の青。 もう、なにもかも藍より真っ青(マッつぁお)!一色(?)即発。・・・・・結構に御座います。「天の河」は銀河系の円板部が天球の大円に投影されたものですから確かに「鏡」ですね。良いご着想かと存じますです。
「群青」はもともとアフガニスタン名産の青金石からとった顔料。現在では十八世紀のヨーロッパで錬金術師がつくった天然ものに負けない人口石(ウルトラ マリン・ブルー)をラピス・ラズリと呼ぶようです。自分だけの群青色を完成させた喜びはいかばかりでせうか。
ついでに、本朝でも青色を研究していた人たちがいました。青色LEDと青色半導体レーザーの開発にしのぎを削った男たちのプロジェクトXがあったのです。詳しくは、小社刊行の『青色に挑んだ男たち』―中村修二と異端の研究者列伝―(税込1890円)をご覧ください。
それでは、「注文の多い不易庵」(蕎麦屋では有りません。為念)の進行の不手際から大変長らくお待たせしてしまいました。濤師、名残の裏入りをよろしくお願い申し上げます。皆々さま、いよいよファイナル・ラップとなりました。何卒、もう一押しのお力添えのほどを乞い願い上げ奉ります。
19,先頃は、短句で、秋でかつ恋を入れよとの、無理難題。泣く子と宗匠さまには勝てないので、四苦八苦=16句でつくりましたです。では、十九句まいります。
意は、拙い絵解きにてご容赦を。
団扇はかの抱一が手になる逸品。さすがお大名のご子息ゆえ使う絵具が違うとか。群青は本場ラピスの唐物とか、さすが発色が違いますわいな。ちょっとゴージャスな大家のご様子。扇ぐ心遣いは恋の呼び出しともとれますな。受けて頂きませう。
抱一画の団扇を日常にお使いになるとは、また豪儀な事に御座います。さぞや送られる風も琳派風なんでしょうなぁ。 結構です、頂きました。句意の絵、これまた良き味わいにて御座います。唐渡りの群青といい、豚の蚊遣りの軽妙さといい、寝転ぶ男の着物の柄と色合いもよござんす。易 瞠目。恐々。感服。
そういえば、ある時の事、抱一は描いている途中で絵の具が足りなくなったと云って、一包み百両もするという胡粉を、京まで買いに行かせたというお話もありました。ご当人も、蚊遣りに抱一団扇を使う人に負けずに豪奢なお人だったようです。
かって「蚊遣り」は庶民の暮らしぶりを表す季語として使われるとともに、夏の男女の仲を表す小道具としても用いられてきたようです。 蚊を焼くやキョウジが閨の私語(ささめごと) 其角
キョウジは人の名前で、笑顔の可愛い支那の絶世の美女ですが、漢名を失念致しました。ムズイ字だった事だけ覚えております。あしからず。史記・周本紀「キョウジが一笑、国を傾く」の故事から、自分を霊帝に吉原の傾城をキョウジに、吉原を後宮に、蚊遣りの煙を狼煙に見立てた其角好みの遊び句が残っています。夏の夜の逢引には欠かせない道具立てでもあったようです。濤師の句にも言外にその雰囲気を漂わせておるようです。 そこで、恋の呼び出しを受けまして、
20,「撫子」は秋の七草のひとつとして秋季にこさえる時もありますが、大方は夏の季語として用いられます。大切な、愛でる、大事に育てるなどの意があります。総じて童や女人を指すようです。
冒頭の「うかと」は、抱一が根岸に隠棲したときの庵号・雨華庵をもじった語呂合わせ。
「うかとは手折れぬ」のは、撫子ぶった性根が見えない女人の事か、愛おしく大事にする余り、手を出すのが躊躇われている事なのかは、次句へお渡し。
それでは山穂さま、今巻最後の一句となりました。御機嫌ようお締めくだされますよう、お願い申し上げます。
21,梅雨の中休み、蒸し暑さには慣れずに辛いところですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
宗匠さま、足のお怪我から一年経たれたとのこと。お具合はいかがですか?この時期は体調がすぐれないことが多いですから、どうぞ無理をせず、お大事になさってくださいませ。
それではいよいよ終盤、私めは皆さまより一足お先にゴールへ突き進ませていただきます。ついでに、サッカー日本代表も劇的なゴールを決めてくれることを願いまして。宗匠さま、ゴールできますでしょうか。
なんとじれったいこと。これ以上、撫子ぶって待ってなんかいられません。用意周到、花嫁衣装も自分で縫い上げたし。これで針供養を終えたら自分から押し掛けて居座っちゃいます。大和撫子は皆、かかあ天下の素質をもつ予備群なのです。
さて、この度の宗匠さまと涛青さまのやりとりは、何とも興味深い勉強になるお話しでございました。宗匠さまの、「送られる風も琳派風」とは、にくいお言葉ですね。涛青さまの俳画のユニークさには感嘆、また唸ってしまいました。十八句目の解釈では青さまの青、青と連呼して大変失礼をいたしました。『ラピスラズリ研究会』所属なもので。どうかお許しください。この後の皆さまの句を楽しみに、静かに見守らせていただきます。
山穂さま さっそくの返し、痛み入ります。有難う御座いました。
花嫁衣裳を小脇に抱え息急き切っての押し掛け女房。なんとも元気なお嫁さんです。しかも手縫いで自前の白無垢ときては断りづらい。頂きました。結構です。針供養は二月八日と十二月八日の両様あるようです。ここは春季としていますので、二月の事。望まれたお人は大変でしょうが、傍目には微笑ましくも映ります。明るく元気な句で締めて頂きました。
山穂さま、長きにわたりお疲れさまでした。おかげさまで一巻残り三句となりました。引き続き残りの連衆への精神的ご支援を願い上げます。また、迂生の自足の傷にたいしての暖かなお心遣い感激にございます。有難う存じます。重ねて御礼申し上げます。
それでは、大変長らくお待たせ致しました影左さま、余り空きが長くてうんざりされたのでは?申し訳御座いません、何卒、残りの一句、花前、よろしくお願い申し上げます。
皆々さま 昨日の其角の句についての部分ですが、家に帰ってから『蕉門名家句選』を括ってみましたところ、随分と間違いが御座いましたので訂正いたします。うろ覚えで書きなぐった段、平にご容赦くだされますようお詫び申し上げます。
誤 蚊を焼くやキョウジが閨の私語
正 蚊をやくや 褒似が 閨の私語
読みはキョウジではなくホウジでした。また、周の霊帝としましたのは幽王の誤りでした。(二帝併せると幽霊です。何と不吉な。 易九字)
★既にご存知やもしれませんが、お話は、周の幽王の愛妾で美人の誉れ高き褒似 (其角の句ではジは人偏ですが史記では女偏でした)と云う人は、生まれてこの方ついぞ笑ったことがなかったそうです。それがある時、王の手違いから敵襲を知らせる狼煙が上がってしまった。さぁ大変、文武百官、慌てふためいた諸侯が参内する。その様子を見て、かの褒似、初めて笑ったそうです。破顔一笑こぼれるような笑み、鈴を転がすような笑い声。よっぽど可愛いお顔をされたんでしょうな、以後、王様はこの笑顔見たさに度々狼煙をあげてしまったんですよ。そのうち「ちぇっ、またかょぅ、ったく」てんで誰も相手にしなくなった。そんな折りしも、隣国が本当に攻めてきた。今度はホントと狼煙を上げたが一兵も集まることがなかった「褒似が一笑国を傾く」というお話。
かって「山の端の巻」に麗枝さんの「象牙の輿傾国の笑み宛然と」と云う句がございました。これもこの故事からの一句と覚えます(濤師ホームページ参照)。
濤師 お気遣い頂き有難うございます。お蔭様で今日はいつもの調子に戻りましたです。「新橋へ廻る一分は気の弱り」昨日は、晩くに社を出ましたので、チョぃトのつもりが一分でも六部でもなく「新橋で巡る盃九〇分」でした。おっしゃるとおり気の持ちようかと。ありがとうございました。挙句もそろそろお仕込みいただけますよう。
22, お陰様で、濤青さま、宗匠さま、山穂さまの風雅な流れをゆるりと観戦 させて頂きました。
暑さの中の清涼を求めて蚊遣り、団扇、撫子などが、行き交う最中に それとなく、安田侃さんの野外展覧会からの(純白の彫刻)マシュマロを西洋坊主が 食べ残したような軽妙洒脱な写真(これも濤青さまの俳画と競い合うかごとき 風情にみえました)が熱戦のリングに放り込まれたタオルのようで、観客席から観ていても 見応えと気配りの行き届いた連句の進行に感心致しました。
感服の極みで我に帰れば、お待たせ………と宗匠さまからのご指名。
背伸びせずに、平たくまいります。
山穂さまが繰り出した威勢の良い、花嫁は、ついかかあ天下という言葉まで 思いつて仕舞います。嫁入り確信犯の花嫁を迎えての亭主様の心は? 今頃の時代では、がっしり受け止める力を残している男性はいるんでしょうか? この少子化時代です。待ってましたと大向うをうならせる花嫁の登場に比して、あたふたして仕舞いそうなよの男性。
野辺に立つ、赤い前掛けを垂らした子宝地蔵さえ、陽炎にかくれるように おたおたして見えるではありませんか?鄙びた光景にも深刻さが忍び寄って来ます。
戦前、戦後の一郎、二郎、三郎から十郎あたりまで、名前を用意していた時代は、もう、遠い昔の話と成り果てましたのでしょう。
宗匠さま、いかがでしょう。
影左さま 花前、頂きました。有難う御座います。
句底には深刻な問題がおありのようですが、句の表からはお地蔵様の動揺や世相の危機などは微塵も感じられません。伸びやかなゆったりした春の田舎の風情でとても綺麗な仕上がり、誠に結構でした。頂きます。お嫁に押しかけた先の方は郊外にお暮らしのようですね。お二人はきっとうまくゆくことでしょう。
影左さま 美しい立句を頂いてよりこの方、長きに渡り秀句の数々を賜り、幾度と無くお力添えをいただきました事、心より御礼申し上げます。残り二句、引き続きご注視くだされますよう。
23,地蔵は釈教ですが、ここは春野辺の点景ということで、名残の裏でもありますれば、地蔵には深い意味をもたせず景色として続けます。では、花。
今年も、花にうかれた又平よろしく、吾も花の幕の内。盛りの花がトバリのように囲む、霞深なるその中に、浸り込もうぞこの春も。前句を借景とすると、遠く、地蔵堂を帳のように囲んだ爛漫の花が、陽炎のように淡として望める春野の景。
それでは、お待たせ致しました、濤青さま。これにて大団円、挙句です。よろしくお願い申し上げます。
24,いよいよおしまいとなりますか。
挙句で手間取って、座を白けさしたと、帰途芭蕉翁にネチネチと嫌味を言われた弟子がおりましたそうな。
ここは、何でも早く出した方がよさそうなので、まいります。
花の句、大人の余裕をただよわせて、我が世の春の趣アリトイエドモ、一抹の侘びしさもコレマタアリテ、まっこと近来希な秀句でござりまする。
コマッチャウナー。
では、花を汚さぬように、気高く・・、清く・・
鶴は、8千メートルの峰を軽々と越えて北に帰るものがあることが確認されました。
TVでしか見てませんが、まっこと雄大な神々しいシーンでしたなー。
鶴は、花札でも役が付く目出度い鳥で、帰るが付くと春の季語となります。
いかがでしょうか? 気高かったでしょうか、鶴は、毛だらけ、ですけど。
一巻満了したにもかかわらず、「挙句の末」のご挨拶が遅くなるなどと云う事は、蕉翁がおられたら、さぞネチネチとお叱りを受けるところでした。御免くださりませ。
挙句、丈高く。高さは申し分ありません。何しろ地球最高峰のそのまた上を越えられるのですからね。挙句、気高く。こちらも、〜吾子はぐくめ天の鶴群(たづむら)〜と万葉の頃より謡われた高級羽毛。毛高さも申し分ありません。お目出度く、晴れやかに、未来への希望も感じさせる明るい挙句で締めていただきました。誠に結構でした。有難う御座います。
この鶴は確か、春になると中国領ウイグル自治区の砂漠の只中にある湿地帯(?)「幻の湿原」に帰るといわれているものですよね。不思議な鳥です。越えるといえば、胡蝶の海越えなど自然界にはまだまだ驚異と不思議が沢山あるものですね。
前句の花は、挙句ではヒマラヤ櫻だったようです。因みに、本朝では、ネパールの王様からもらった種をもとに、実生から育てた成木のヒマラヤ櫻が熱海にあります。国内ではここだけ。毎年、十一月の末から十二月の末にかけて咲きます。機会があれば一度、天竺は大雪山の峰峰を偲ばれ、冬のご観桜はいかがでしようか。
さて、これにて一巻、無事目出度く満了となりました。皆々様のご尽力、数々の名・秀句をもちまして、素敵な一巻を巻き終えることができました。誠に有難うございました。また、宗匠役不行届きの事、多々ありました。途中、要らぬ注文を多発し、進行を度々滞らせたこともありました。「文机降ろせば即ち反古」何卒、水にお流しの上、平にご容赦頂けますよう願い上げます。
今巻に対する皆々様のお力添え、ご尽力に重ねて御礼申し上げます。次巻、また楽しい素晴らしい一巻となりますように。易 深々低頭平伏