自己解釈
評者 不易
昨宵は大変楽しいひと時を過ごすことが出来ました。
皆さま有り難うございました。前の宗匠さまにはお手数をおかけしました。改めて御礼申し上げます。
小鼓で舌鼓。鰭酒でお話にも尾鰭がついて、在ること無いことかってな事でお騒がせいたしました。
「惜しむらくは謬語多からん、君よ将に酔人を許せ」
陶淵明の詩の一節。誠にご無礼お許しくだされ。
4、美酒に酔いすぎました。宗匠さまにはご迷惑をおかけいたしまして申し訳ございません。大変恥ずかしい間違いをお許しくださいませ。
雨もすっかりあがり、こぼれんばかりの星の夜。「お月さま、早くお目にかかりたいものです。この寂しい心をどうかなぐさめてください」などと、酔って勝手なひとり事をつぶやく。
山さま、差配の滞りでお手数をおかけしました。スミマセン。四句、頂きました。有り難う御座います。星の降る夜は、その冴え冴えとした清澄な美しさの中に、自己の内奥を振り返させる述懐を喚起します。ぽつりとつぶやくひと言に、その人の人生が現れるようですね。では、続けて月です。由なに。 易 平伏
5、まんまるお月さんのその中に、あれお坊さんのシルエット。何やらお月さんに話しかけてるご様子。良きお歌が出てこないのか、ちと寂しげな後ろ姿ではある。
6、西行かぶれには、秋には裏の田んぼから飛び立つ鴫も、なにやらゆかしく見えるようで。
いかがでせうか。
往々、本歌どりに走る時の濤師は、少々お疲れぎみの時が多ございますが、自ら軽味と仰せですので頂きまする。世にゆう三夕からのご引用です。因みに三夕のお歌とは、見渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ 定家さびしさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ 寂蓮心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ 西行ともに『新古今集』秋の部に収載された秀歌とされる三題です。「なにやらゆかし」も蕉翁・曾良さんの『奥の細道』吟詠からのご引用。而してこれら、ふたつを併せての句振りの妙。西行かぶれの御仁を斜に見極め、優雅な勅撰和歌を下地に俳味・ハイミー(味の素ではありません。為念)に仕立てあげましたお腕前お見事に存知ます。ひとつ迂生の勝手な期待としましては、西行・寂蓮を盛り込みますれば、定家にてのひねりがほしかったかなと、僭越なが想いおりまする。なれど前句がなにぶん理に落ちすぎました事、お詫び申し上げます。 易 情状酌量の程願い上げます。
7、飛び立った可愛い子供を送り出した後か、帰って来るのを待ちわびてか。小さくなった母は子供の為に布団を干すのも一苦労。えいやっと気合いをかけて危うく布団と一緒に転げそうな光景です。
山さま、裏入り頂きました。一人の中に余りお引き籠もりにならないよう、もう少し前の句に(といっても付き過ぎてもいけないのですが。う〜ん、ムズイ)添った物語りを展開していただけると有り難いのですが。前二句を並べてお考えになるとよろしいかと。
8、 冬日が西に落ちた後の夕刻は、寒さの戸外からさっさと逃げて熱燗の晩酌。椀の汁のなかには、身の引き締まった寒蜆。真冬の湖水はさぞ冷たかったろうに。いずこの湖で採れたのやら。アサリ同様に海外産か?このエキスが肝臓に良いと信じて寒シジミを箸でつまむ。花粉攻撃防戦中につきお手柔らかにお願い致します。
影左さま 草々にお付け頂きましてありがとうございます。チョイと出かけておりまして、ご返事遅れました。申し訳有りません。花粉症は罹った者でないと判らないようですが、お辛いご様子お見舞い申し上げます。せっかくの春だと言うのに惜しい事です。さて、八句目ですが、打越の"夕"の字の重なりが少々気になりますが、夕暮れ時にあわてて布団を取り込んだ御仁が、とっぷりと暮れた夕餉の膳に向かうという時間の推移と解釈して、ここは、花粉前線に過奮戦しておられる影左さまの御身を気遣い、頂くことにいたしました。この春は花粉が少なくなるよう調伏の護摩(煙草)を焚いて(吹かして)お祈り申し上げます。
9、どうもこのところ落ち着かなくて、うまくいきません。とは、いえ、逃げもならず、またまた見立てを、ひねり出しました。時はまさに清明節。といえば、杜牧でございます。
清明 杜牧
清明時節雨紛紛
路上行人欲断魂
借問酒家何処有
牧童遥指杏花村
この名詩が自ずと浮かんでまいります。 この詩を思うと無性に酒が恋しくなります。 急ぎ酒家に走り、杏花村産の汾酒(フェンチュウ 53°)を買い求め 苦吟すること一杯、二杯、復一杯・・。 それでできた句でございます。 影左さまにもその昔、ご一緒した仕事で縁の詩でもあります。
路上の人は、ここでは、旅人ではなく、路上生活者にしたところがミソです。
寒い冬を過ごしてもうじきは〜るですね〜。といって喜んでいたのに雨が紛々と降ってきて路上生活の侘びしさは募ります。故郷の温かい寒シジミのミソ汁が無性に懐かしい。
いかがでございますでしょうか。花前の前で春を待つ、とやらかしましたが。
10、紛々と降る春雨を避けて辻堂の軒を借りる。庇には、おや先客が。霞と間違えて飛んで出たのか翅に柔らかな雫が光る。止むまで一緒に堂籠りと洒落こんで。
11、 恐れ多くも桜大明神におわします宗匠さまに高松空港への道すがら、里山に見かけた淡墨桜をご紹介する無謀に走りってしまいました。 よけいな情報解説は抜きにいたしまして軽やかな春風の中の桜を詠ませて頂きます。
12、美しい風景の中での花見、旅の疲れを癒すにはやはり温泉三昧です。いくつもの名湯をめぐり、坂を上り下りるのもまた楽しいものです。いかがでしょうか。
山穂さま 結構に存じます。頂きました。速さも申し分ありませんです。ありがとうございました。 「よい宿でどちらも山で前は酒屋 山頭火」いろいろなお風呂があってよい宿のようですね。湯船からのお花見、いいですね。
13、『おくのほそ道』の羽黒の段に、月山から湯殿山に渡る件がありますが、その途中に月山という銘を記した刀鍛治の故実に触れたところがあります。その面影を慕いての連想です。
14、刀では食っていけないのです。腰をかがめて、星の出るまで野良仕事をせねば、生きていけない田舎鍛冶。
15、苦し紛れの句となってしまいました。なんだか自分の心境と同じのようでお恥ずかしいです・・・。いかがでしょうか。
16、緋毛氈も、野点の傘も真っ赤。紅葉だって真っ赤。紅葉の一葉一葉が色彩の鮮やかさを競ってふはりふはりと傘に舞い降りたものの、つれない秋風がひと吹きするとこぼれ落ちてゆく。 一葉一葉が別れゆく、美しくも淋しい別れの季節です。
17、あでやかな赤の乱舞に対してモノトーンで、軽くいってみましたが、いかがでせうか。
月の句頂きました。月光の冴えた輝りが町の隅々にまで達して、滔々と射す明と濃い影の長さが印象的です。結構に存知ますです。引き続き、遅くなりましたが、秋をもうひとつ続けます。
18、白銀の輝りに包まれて眠る町のひと隅に、黄色い小さな燈火が零れている。内では夜っぴいての盆芝居の練習が続いている。今日の満月のように、その出し物もかぐや姫のようだが。いかがでせうか。
それではいよいよファイナルラップです。気を抜かせたようで誠に申し訳ありませんが、何卒、引き続きご支援お力添えを賜りますよう願い奉ります。
19、そんな折、狂言の道化役太郎冠者の衣装に描かれる家紋は、観客への気遣いからどこにもない雪なずなの紋をつけて登場していると聞きました。西洋のピエロなどには見られない道化役の意識の違い、日本文化らしさを感じました。それも風雨にさらされて野に強く生きる雑草のなずなを選び、雪化粧をも忘れない粋さもそこに垣間見えます。うれしくてもかなしくても「わははははぁ〜、うふふふふぅ〜、わははははぁ〜」と天をも笑い飛ばすように笑うあの太郎冠者の声がこれまでと違った笑い声に聞こえてきて詠んだ一句です。 雪なずなですが、雑か冬か迷いましたが、ここでは冬と考えました。
薺 ペンペン草 は七草粥にも入れますので季としては新年・春となりますが、花の定座も近こうございます。雪を冠してのご使用ですので、ここは冬と致しましょう。薺の花の白さを雪に喩えた事のようですが、そこに狂言師の気遣いがあるとは知りませんでした。古典には芸能といえども奥深きもがあるのですね。ひとつ賢くなりました。有難うございます。
20、真っ白な雪のように清らかで汚れを知らない和紙作り。見事な仕事を仕上げるその手の皺に、長年にわたる職人の熟練の技が物語っている。
太郎冠者の高笑いに対しての静かな冷水の趣、結構です。時の移ろいを 水に重ねる としたところがよいですね。前句の雪薺からの付け順とおもわれますが、太郎冠者にももう少し添えるとなほよろしいかと。でも、修練を積んだ老狂言師の舞台の様ともとれますので、このまま頂きました。静謐な佳き句振り、有難う御座いました。
21、スとヒビの漢字がメールでは送れませんので、詠みを添えておきます。「すやならぶ ひびのいりえの もがかどに」です。よろしくお願い致します。
久方に老いた母を訪なう故里の体。言い訳=前句の和紙からの連想で、和綴じの古書籍など文字摺りの皺などをおもい浮かべたのですが、打越で謡曲本の様な感じになってしまいましたので、ここは思い切って海苔漉きに変えてみました。海苔は登場していませんが、海苔関連の道具仕立てですので、季は春とさせて頂きました。
22、老いた母を訪れるに、出されるは、旬の菜飯。
こうした素朴なものを好む歳になったかと、老いを見つめて苦笑する。
それにつけても母は老いたなー、としみじみと。
小津安二郎風に、昼下がりの茶の間の情景。障子に庭の木々の影がさす穏やかな一日。いかがでしょうか。
「菜飯」は静岡県榛原郡、和歌で名代の「小夜の中山」の東麓にあたる東海道・菊川宿の名物ですね。味は淡白ですが、春の長閑さとなんとなく懐かしい感じのする素朴な味わいが魅力といいます。迂生はまだそんな歳にならないせいか、もう少し吾妻に下って、蕉翁も詠んだ丸子宿のとろろ飯の方が好みですが。 まっ、そんなことはともかく、
小津安ばりの低い視点からの描写で、最近では稀少になってしまった、こころ長閑な日本の昼下がりの(古関裕而作曲「昼の憩い」の様な)趣が伝わつてまいりますです。ありがとうございました。これにて濤師は満了です。
春が四句続きますが、廿一句には明確な春の季語がありません事と、ファイナルラップでの春季は四句までは許容範囲と判断致したものです。ご賢察のほど願い上げます。
23、どの花よりもこの家の庭に咲く花は愛しい。古木なっても見事な花を咲かせてくれる。共に成長し、家を見守り続けてきてくれた。舞い散る花びらには喜びと幸せが満ち溢れている。
いかがでしょうか。涛師さまの花前の句、お見事でございました。やわらかな小津ワールドのような情景をぶち壊さないよう、また、継いで花を表現するのは・・、ひゃー、難しゅうございました。
人も桜もご長寿で、おめでたく結んでいただきました。ありがとう存じます。また、長きにわたりお疲れさまでした。 易 感謝。
それでは、大団円。影左さま、本巻最後となりました。挙句よしなにお納めくだされますよう、御願挙奉。易拝
24、春の宵にそぞろ歩ではじまりましたこの巻も桜のシーズンを満喫しまして、目に青葉の初ガツオを食しているうち「挙句」の時を迎えております。ここまでの流れを如何におさめるか皆々さまの盛り上がりに臆してしまいましたが、発句のなだらかな気分を引き継がせていただきました。
いつまでも続いた夏の夜の宴がようやく終えようとして縁先に立つともう短夜が明け始める。ふと見やれば傍らに帰り時間を忘れたか、夕べ人間どもの宴を覗きにやってきた蛍が一匹。夜更けまで光っていたのに、明るいところでは地味なやつだなと手に掴もうとしたとたんふわぁ〜と飛び去る夢の跡を詠んでみました。
ところで、季寄せの「蛍」を確認しましたら「死なうかと囁かれしは蛍の夜」鈴木真砂女なんて。すごみのある蛍が登場していました。やはり、そぞろ歩きで眺める蛍の方が肌に合っているようです。
影左さま 挙句いただきました。結構です。「文机降ろせば即ち一巻反古」の趣きですね。
歌仙では、たとえ前に春が五句続いていても挙句はかまわず春季につけるなど、通常、挙句は花を受けて春を詠みますが、当歌仙では二折り少ない廿四句でもありますし、今巻では前に三句の春がありますれば、これには余り拘泥しない事にしましょう。むしろ今巻の挙句で、蕉門歌仙にはない当歌仙独自の式目としての新しい発見となりました。感謝。但し、一巻成就を寿ぐとともに、春の楽しげな心持はお忘れなきよう。