自己解釈
評者 影左
1,昨日は大変愉快なひと時を皆さまとご一緒させていただきまして、ありがとうございました。大いに飲み、食べ、笑い、人の縁の不思議を深く知る宴でありました。影左さま、お手配等大変ご面倒をおかけしました。感謝を申し上げます。おかげさまで、心豊かになる素敵なお店を知ることができました。
さて、新たな巻の始まりですね。影左宗匠さま、お手柔らかにご指導をいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。それでは発句、まいります。
春の宴。そこには、待ちわびた春到来のたくさんの喜びであふれている。正しく、昨夜の春の宴の情景です。単純すぎましたでしょうか?
山穂
さて、一座の皆々様、大変長らくお待たせ致しまして失礼致しました。この度は、新巻差配の大役を承り驚天動地の心境にて、どう踏み出せば宜しいのやら逡巡の週末でありました上に、先週は、会社に泊まり込みの業務に羽交い締めの憂き目に合っておりました。山穂さまより、早々の発句を頂きながらも新巻進行を遅滞させてしまいましたこと、恐縮の極みにございます。皆々さまの新巻へのたぎる気合いを阻喪させてしまいました点、陳謝いたします。
昨日で、ようように身が解放されましたので、力及ばずながら新巻スタートさせて頂きます。
まず、山穂さまの発句、和やかなすべり出しの句、有り難うございます。
今朝、家を出る際に近隣の桜の枝々に蕾がふっくらとしているのを見受けましたが、思い思いに微笑んでいるようにも見受けられました。
何はなくとも春の宴は、集う人々の気持ちを寛がせます。不思議と、だれもが太閤秀吉さまの「醍醐の花見」の宴に参加しているような気持ちが漂うやさしい浮遊感。春の今の季節に相応しい発句、歓迎いたします。
それでは、不易さま、脇句です。たいへんにお待たせ致しました。(進行につきましても新米宗匠の御指南役もお願い致します。)どうぞ、よろしく。
影左
2,新宗匠さま 先達ては美味しいお料理とお珍しい御酒を頂戴致しまして感激の極みに御座いました。お忙しい中、素敵なお店をご紹介頂き大変感動致しております。有難うございました。また行きたいです。是非。この度はまた、新巻のご差配の労をお取り頂き誠に恐縮に存知あげます。どうぞ満了まで易めをお見捨てなきようご指導賜りますよう願いあげます。
早っそくにご指名により脇を継がさせていただきます。が?いかがでせうか。
宮仕えの身には春の一大イベントは何と言っても人事異動。発句の宴は歓送迎会。どうやら「思い思いの笑み」でこの一座、結構うまく事が運んだよう。所は八丁堀。八丁堀と言えば黒羽織(微禄とは申せご直参)の旦那衆。春の訪れとともに微禄であるが故に冬の羽織を洗い張り。羽織を脱いでの羽目をはずした愉快な宴。てな状況です。
与力は助力で助け合い。同心は心ひとつに。この一巻うまく成就いたしますようにの思いを込めて。 易低頭
八丁堀界隈も、2月末から3月に入り、三寒四温の陽気を経て温かさが春の気分を誘っています。
与力も同心も、すすみ過ぎる酒に身が温まると羽織なんか着てられません、と。出世しようがしまいが、気が大きくなる春の季節。 発句の和みの宴から江戸情緒漂う脇句で、上手くつながり、サラリーマン社会の悲哀も垣間見え、時代を超えての人間模様が浮き上がります。
なだらかなつながりながら、羽織のひもを解く動きが前句からの流れ、次への流れを暗示。いただきます。
3, 八丁堀の隣の茅場町には、今をときめく、と言うべきか、ときめいていたと言うべきか「ライブドア証券」のビルなんかもあります。八丁堀同心が聞き込みに回っていそうです。 捕まって白状する者、しない者。堀の外に見え隠れする木蓮の白い花が春の強風に吹かれて枝から半分落ちそうに揺れてます。運命や如何に?天の神さまが季節の変わり目を告げる春一番。 さて、濤青さま、月の定座前を宜しくお願いいたします。
影左
4,どうぞお手柔らかにお願いいたします。
半落ちとは秋の呼び出しへのまたとない援助、感謝申し上げます。
では四句目です。
最後の一枚の葉が落ちると命がつきると思う少女と秘かに葉を描いて助ける画 家の物語がありましたね。それにあやかった十分長生きした老人ですが、半落ちの葉っぱが落ちそうで す。落ちてくれれば、と念じるのですが。憂き世に未練はないものと思われま す。いかがでしょうか。涛青
三句で吹き荒れた春嵐が、勢いにまかせて木立や花の命を揺さぶっているのに対して、四句に登場した葉は、全うした命に転じて句は人生の旅人の行方をも静かに見つめています。三句の浮かれ気分を月の定座に向けて落ち着かせて頂き有り難うございます。古今集に見られる「いのちやはなにぞは露のあたものを逢ふにしかへば惜しからなくに」のように、ーーあの人に逢えるなら露と消えるような命なんかいらないーーなんて強がりが口から飛び出す華やいだ時期をも、度々経験してきたことでしょうに、今はもう、波瀾万丈の一生を乗り越え終着駅に近づいた旅人が落ち着いた心境で命の自然の成り行きに身を任せている。きっぱりと枝から別れを告げる潔さが、永遠の命を手に入れる。なかなか俗人には到達できない静寂の境地は、月の出を迎えるに相応しいところです。では、不易さま、月の定座をお願いいたします。
月曜日より、備前ロケーションで数日不在となります。新米宗匠は、巻頭から留守がちで皆々さまにはご迷惑をおかけいたします。
影左
間をあけまして、失礼致しました。地方出張から早めに帰っております。 春の宴の巻、続行お願い致します。不易さまも、恒例の桜の旅全国行脚の誘惑が目前にちらついてございましょうが、何卒宜しくお願い致します。
影左
5,宗匠さま 晩くにすみません。櫻はまだですが、一日置きに私用で休みを摂ってしまいました。遅れて申し訳ありませんでした。続けますです。よろしくお願い申し上げます。
今年も一年大過なく中秋の観月に臨む。自慢げに上る真ん丸のお月さん。内の兎も太って見える。欠けたることのないこの月のように、この命もまた一年永らえたり。と悦に入るご仁。藤原道長、頼道親子か?前々前句の達観の寂びた心境のお人とはずいぶん違った世俗紛々のお方と見ました。散ったのか散らしたのかは知らねど「ひと葉散りなん」は彼の政敵の事かは。
折角の侘び寂びの詩情を乱したようで恐縮ですが、何卒ご容赦賜りますよう、伏してお通し頂けますよう願いあげ奉ります。易 低頭伏拝
今年の桜は、早々と咲き出している様子です。桜見物の誘いの話が増える時期でもあります。4月1日屋形船桜見物に呼ばれています。不易さまは、信州伊那谷の桜採取の日程がお決まりのようで羨ましい限りです。 五句の月、いただきます。
前句にある「ひと葉ちりなむ」にみられる静観のあととしては、兎は年に何度も子供を産む多産で、飛び跳ねる生命力に満ち、そこに目をやると、初折の表としては、元気があり過ぎにも思えるところですが、ひと葉の内に見つめる命の静かさに対して、宇宙に漂う月の神秘的イメージとして捉え無言のうちに照らし合う秋深しの静寂の風景と見ました。 お待たせしました、山穂さま。折端です。もうひとつ秋で、しっかりとまとめてみて下さい。今年は、もう何本もの桜の幹に抱きついて桜便りを楽しんでおいでのこととお察し致します。影左
6,待ち焦がれた桜咲く季節となりました。同時に、皆さま花見でお忙しい日々となりますね。私は今年も桜の木に抱きついています。実は兎さんのように元気に飛び跳ねて抱きつきたい心境ですが...。明日は千葉マリンスタジアムにロッテの応援に行くのですが、あの名物ピョン跳ね応援は恥ずかしくてできそうにありません。
では六句です。飛び跳ねたい気持ちをグッとこらえて、静かに時を過ごす心境を句に重ねてしまいました。宗匠さま、ご寛大なお気持ちでお通しくださいますよう、お願い申し上げます。
見事な月を愛でながら、はやる気持ちを抑えて心静かに硯をする。心を落ち着かせると、深まってきた秋の冷気が身にしみていくことに気づく。山穂
ロッテ戦は、やはりビールか日本酒で観戦。
勝敗は、いかがでございましたでしょう?
六句いただきます。
夜空には、存在感たっぷりに浮かぶ名月。
縁先の月光を拾う畳に寝転び、手枕で兎の餅つきを見上げる輩もいるでしょうが、ここは、居ずまいをただして、これから写経でも始めようとするか、そこまでかしこまらなくとも文をしたためようと、しんみり硯に向かう秋の夜半。 女性であれば、心の鏡を磨ぎ出すように硯をする。落ち着きと品格の秋、いただきました。それでは、初折りの裏入りを濤青さま、宜しくお願い致します。影左
7,今年の桜は早いですね。もう満開。急がねば花の座が葉桜に。では、七句目をまいります。
日暮し硯に向かいてよしなきことを、でなくて、したためたるは重大な事柄でありました。うるさいほど鳴いていたヒグラシがひたと鳴きやんだ静寂の杉木立。察知して忍び寄る敵の手のものか、はたまた味方か。単独ではなんとも起伏のない句ですな。
蜩は、一般的に、はかなげに聞こえるので、秋の訪れを思わせますが、どっこいその実態は、蝉の中でも早く鳴き始めるのです。しかも元気で朝から大音響で唱和してやかましいことこのうえない。夏の盛りに志摩半島の入り江にあるヨットハーバーで一日中聞かされ、暑苦しいことったらありませんでした。
よしなにお願い致します。涛青
花の座をまもなくに控えて、濤青さまが先をせかされます。
確かに急がねば。桜も蝉も逃げてゆきます。
しんみりと硯に向かう秋から志摩半島の夏の真っ盛りへ。蝉という生き物は、あの脱け殻のせいか「空蝉の命を惜しみ〜」みたいに命とか世の儚さを、見た目でも実感させてくれるところがあります。
涼しさを求めて緑の杉木立に足を踏み込むとぴたりとヒグラシが鳴きやんだ。盛夏の暑さは見に応えるなあと喘ぐ人間に、杉木立の高みから禅問答の挑戦を挑むがごとくヒグラシが大合唱を止める。 音が消え去ることで逆に、何かの気配を感じる瞬間。日本ならでは、また日本人ならではの真夏の体験ですね。
8,では、八句参ります。
炎天下、昆虫採集にかけずり回っていた元気な子供達。成果のあった子もなかった子も、川の流れで冷やした西瓜にかぶりつく。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のあの時代、日本中の田舎でよく見かけた夏の光景です。
現実に戻りますと、このところスタジオに籠り切りの日が続続き、4月10日過ぎますと時間がすっきりと空いてくれるだろう毎年の年度末納品に間に合わせるための暗い日々に苦しんでおります。
それでは、さあ、(宗匠役が進行の遅い分まで)急いで上穂さま、九句をよろしくお願いいたします。
9,皆さま、どちらで桜を楽しまれたでしょうか。春の嵐や今日の冷たい雨でずいぶんと散ってしまいましたね。満開の時に花の定座を間に合わせることができず、申し訳ございませんでした。
苦吟の末、ようやく一句にたどり着きました。進行を滞らせ、宗匠さま、皆さまには大変ご迷惑をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます。それでは、九句、まいります。
暖かな冬の一日、まどろみのなかで顎髭を撫でながら時の流れを遊ぶ。西瓜をほおばる無邪気な幼子の頃が甦り、また遠のいてゆく。
九句いただきます。
八句が前句に付き過ぎておりましたが、
ここは、時の遊びを現世からまどろみの仙界へ引き上げていただきました。
やはり、桜の幹から幹へ春の遍歴を得意技とする風雅な手際に感謝致します。
ちなみに、芭蕉翁には顎髭なんぞはあったのでしょうか?我が新都玖波HPに登場している芭蕉翁苦吟之圖では、髭はございませんが。ま、水戸黄門さまではありませんし。
濤青さまには、毎度上梓の労を感謝いたしますが、今回も上梓いただけるとは思い至りませんでおりました初宗匠役は、俄然緊張。
ところで、なぜか今年は、花見行事が身の回りで頻発します。景気が上向いてるのでしょうか?こちらの方には、上向きの風は一向に吹いて参りません。
それでは、不易さま、お待たせ致しました。花前の十句目よろしくお願い致します。
10,宗匠さま 皆々さま ご無沙汰致しておりますが、いかがお過ごしですか。都内の桜は今週末あたりで一区切りでしょうか。山の桜や北の桜はこれからです。まだまだ楽しみなことです。それでは花前を。いかがでせうか。
白髭で時を遊ぶとくれば、これはもう浦島明神縁起絵巻の世界。ここでは太郎を現役引退の老漁師と見立て、漁には出ずにヒジキを干した長閑な春の浜辺で楽隠居。ところが、沖合いの漁舟の配置が気に入らない。思わず沖の若い漁師たちに指示の声を掛ける。はたして声は届いたのでせうか。左宗匠さま よろしくお願い申し上げます。易低頭
ご隠居さんは、若い衆に漁の指導の声が伝わらないとみると手を代えて「オーイ、今宵は花見の宴を開くによって〜酒に合う魚が上がったら,早う浜へもどれぇ〜」とでも呼びかけ直してるんでしょうねぇ〜。潮風が変わっていないにもかかわらずこういう呼びかけは、若い衆にはっきり聞こえます。沖に浮かぶ漁船が一斉に浜に向きを変えてます。
11、 潮風漂う浜辺から花の定座は、山路へ登らせて頂きましょう。木曽路はすべて山の中ですので、そこから奥座敷となる信州は山の幸に恵まれてはいても海の幸は乏しいところ。 伊勢昆布や煮干しなどの海産乾物の通り道でもある木曽路の入り口の道標辺り、行商たちは、気を引き締めて山道に入りました。
道標あたり。桜の花びらが道に化粧をほどこしている。これから伊那谷方面を目指すのでしょうか。ここは,プロの行商というより、里帰りする村人が信州の山奥の名物桜の花見に間に合うように海産物をしっかり背負い直して仲間と桜の下での時を分ち合う楽しみに出発する。
よいしょっと!背負子をしょって歩き出す鄙びた風景です。
それでは、つづきまして折端の十二句を濤青さま、宜しくお願いいたします。
12、鄙びた風情の花、奥深さをたたえて誠に感嘆いたしました。肴は鹿尾菜でいい、あぶった煮干しでもいい、酒は、何でもいい〜。ゴックン、喉が鳴ってしまいます。で、次句を。
山深き木曽路を行くと遙か下方に杏の花盛りの村が見えてきます。喉も渇いた頃合いだし背中の煮干しで一口酒を飲みたいのだが、古来から杏花村には酒屋があると歌われているが、酒屋の旗はいっこうに見えない。話が違うじゃん、がっくり。時節も清明節、ご存じ、杜牧の「清明」の本歌取りでございます。
借問酒家何處有
牧童遙指杏花村
いかがでしょうか。遣句としておめこぼしを。
時の流れにまでも匂いがあるのかと思われる甘ぁ〜い杏の香りが緩やかに流れる桃源郷。
杜牧の「清明」本歌取りの折端十二句目いただきました。
本歌の杜牧の漢詩には、有名である以上の想いを曵き出されるところがございます。濤青さまが、林功先生による漢詩詩画集を出版される際に、ビデオも作りなさいとのご信託を下されましたので、市川市のアトリエで制作中を撮影する運びとなりました。
杜牧の「清明」も詩画集に登場させたわけですが、その際、村の酒屋の旗が林先生の筆先で描き込まれると、杏の花の香りをいっぱいに運ぶ風がその旗を揺らしたような錯覚をおぼえました。それもやはり「酒」を愛した林先生のなせるわざだったのでしょうか?
では、酒も花も愛される不易さま。いよいよ桜の香りを追いかける信州の花めぐりの旅が近づいて気もそぞろでございましょう!名残の折り入りをお願い致します。
13,宗匠さま 皆々さま 御機嫌ようお過ごしの事と存知あげます。それではご指名、名残表の折立て、『不弁ながらも勤めます〜』(浪曲「石松代参」よりの引用・本歌摂りでご無礼仕りますです)。
『神仙伝』によりますと、呉の医師・董奉は医療報酬の代わりに完治した者に杏を植えさせたと云います。その数夥しく、たちまちにして医院の前は大杏林となった(このパフォーマンスこそは現中国共産党にも継承されている漢民族の恐るべき偉大な伝統です)為に、なるほど三国一の名医だと世に謳われたと云うことですわ。その故事から、医師・医薬・医療の美称として「杏林」と云う語が使われる様になったと聞き及びますです。
そほいえば、本朝にも杏林製薬なる薬問屋がありましたな。「お医者様でも草津の湯でも」の譬えとは言え、名薬・銘酒でなくとも、そのどちらかひとつでもこの胸の痛みを和らげてくれたらいいのになぁ、と云う切ない恋の月九ドラマの心境。
「もがな」は願望の顕われ。王朝の雅な和歌の常套句を下世話な恋に転換したのが俳諧。もっとも、ドラックとアルコールへの依存だけでは中々に解決しない問題ではあはりますけど。
ところで、昨年同じ頃に、宗匠と濤師の遣り取りがありました。
冬 夕餉にたどる寒シジミの里 左 春 春待つや路上の人に雨紛紛 青
と、いうものです。時は是、同じ清明。時は巡り復巡り来る。はたまた人の世も同じ。この一年、恙無きや。 長々、ご無礼にて、かしこ。易平伏。
石松の浪曲にのって繰り出されました不易さまの十三句、みごとにおもしろう転回されて、季節と風景の甘酸っぱさから男女の心の甘酸っぱさへ。
十三句いただきました。
ご披露頂いた『神仙伝』からの呉の医師が、完治した者に杏を植えさせた逸話もいかにも中国らしさを覚えました。中国パワーっていつの時代も気がついたら大変なことになっていたということが多いですね。昨今のめきめき経済力を増している中国の風は、じわり日本の日本の若い(?)女性たちにもアプローチを開始してるらしくて、インターネットをのぞいてますと、「恋に効く中医学」なんてセミナー開催のお知らせなんかが見受けられる時代となりました。
さて、長らくお待たせ致しました。山穂さま、お得意の華やいだ空気を十四句でご披露下さいませ。
14,彩り鮮やかな花の季節に豪雨とは、辛いですね。皆さま、ご無事にお過ごしでしょう
か。
それでは、十四句まいります。不易さまの恋の呼び出しに、きちんとお応えできましたでしょうか。不安ですが、宗匠さま、ご指導をよろしくお願い申し上げます。
残念ながら恋の想いは成就せず。愁いを帯び紅を引く姿は、百合の花のように美しく哀しくもある。紅の色は花粉と斑点の鮮やかな朱色に、白い花弁と細い茎は顔から首筋への美しさと例えてみました。また、イヴがエデンの楽園を追われた悲しみに流した涙が地上に落ちて百合になったという伝説があるそうですね。それに引っかけてみました。いかがでしょうか。
引く紅の紅と百合の白。紅白の大胆な対比…。女性の視線だからこそ成立する美しさなのでしょう。紅引く姿を男性の目で見る時は男心も働いてしまうので山百合の清楚さがこわれます。十四句いただきました。
元来、白は、単色では涼しく清純さをイメージしますが、女性の俤や、恋の舞台装置に使われるとたちまち官能的な表情を漂わせます。 恋を詠むには、短句では物足りなかったところでしょうが、短い中に色彩と心のたゆたいを鮮やかに捉えたところは山穂さまならではと感心いたしました。 新古今集に登場する恋の悲哀と風景を色に託した詠った名歌「白妙の袖の別れに露落ちて身にしむ色の秋風ぞ吹く」が思い起こされす。次は、濤青さま、十五句をお願い申します。
15,恋2句と続きましたので、恋離れを。
庭を掃いていた初老の男に、昔のある艶めいたことが頭をよぎる。
百合のように静やかだが艶やかな女だったなーと、
そこに松ぼっくりがぽとりと落ちてきた。ふと現実に引き戻されて、人生の秋も知り苦笑する男。
月の座を控え早めに秋を詠みましたがいかがでしょうか。
いつもいつも早い進行で恐れ入ります。
恋句は何句続けるべきか?も少し恋路を極めるべきか迷いましたが,
これまでも二句までがほとんどでしたので、今回も二句で離れましょう。
月の座に向けての秋の句いただきます。
「松ぼくり」のぼくりと「ぽとり」のリズム感がユーモラスで秋の寂しさを陰鬱にせず、明るい秋の空気が
初老を迎えた人生の秋も清々しい。
ぽとり落ちると言えば、ーーー椿落ちて一僧笑ひ過ぎ行きぬーーーなんていう句も
見つかりましたが、今頃は、空からぽとりと鳩が落ちてくるご時世となりました。
やはり、濤青さまの句にあるように、ぽとりと松ぼくりが落ちた後の静けさの空間に
身を委ね、落ち葉がかさかさ鳴る音に耳を澄ませつつ、世は事もなしを願います。
16,では、十六句参ります。
庭先に落ちる松ぼくりもあれば、渓流の水面に落ちる松ぼくりもありましょう。
川にぽとりと落ちた松ぼくりの衝撃をよける力もない産卵後の鮭が、泳ぐともなしに水のたまりに疲れきった身を任せて静かに泳いでいる。幾ばくかの余命。
陽が落ちて山の風景は、事もなく暮れて行きます。
さて、待月の山穂さま、いよいよ月の定座です。どうぞ、よろしく。
17,皆さまの足を引っ張らないように必死の思いでございます。
時に、今宵は満月(一日過ぎてしまいましたが)。昨夜は霧でお月さまにお目にかかれませんでしたので、今宵はちょうどこのような心境でございました(徳利は並べて
いませんが)。
やわらかな川のせせらぎに耳を傾け、しみじみと杯を重ねてゆく。気がつけば夜も更け、月はあんなにも高く皎々と照らしているではないか。そして、こんなにも酒を飲んでしまったのか。前句の美しい風情を損なってしまって申し訳ございません。静けさから多少の躍動感をと思いましたが、いかがなものでございましょう。宗匠さま、どうかお目こぼしをお願い申し上げます。
春の宵は、どんなお酒が似合うでしょう?皆さまそれぞれにお好みがおありでしょうが、
近所のコンビニに、例のふなぐち菊水200ml缶を売ってましたので1缶買って味わいました。
山穂さまの月の句は、月を愛で、お酒を愛でて、いつの間にやら徳利の山。愛で過ぎに気付いた我に驚いてます。
徳利を並べて驚くというと、自ら並べてゆくのですから、驚くのも自分だとすると驚きやに行き着こうとする計算めいたところが見えるのと、やや川柳の面白さに近づく傾向が気になります。
いっそのこと、「驚きや徳利並びて月明かり」と、頭から驚いてみせて始まるか「月明かり徳利並べて客は去り」てな具合に客観的に詠んでみるのも手かなと思われます。男と徳利との付き合いはそんな風ですが、しかし、ここは、女性のお酒好きの心の動きそのままに、何本徳利が進んだかは計算したりはせず、月明かりに良き心地の徳利を並べて、あ〜らと気付けば、なんだかいっぱい並んじゃったわ、と驚く女性の可愛らしさの句と見ますれば、たいへん素直に観月の心情を詠った句として、十七句いただきました。
次は、不易さま、十八句です。宜しくお願いします。
18,平田の続く広々とした田園を照らす月明かり。山を背にしたみはらしのよい宿で、月見て一杯と洒落こんでいると、突然の音響。思わず徳利を倒しそう。「添水」(そうず)は「僧都」とも書くようですが、鳥獣を追い払うための猪脅しの大型のやつ。いかがでしょうか。よろしくお通し願い上げますです。
月明かりの下で、日本らしいの秋の風景に色っぽく酩酊してその風情を満喫した際の山穂さまの驚きを、鳴る音の驚きに変じたのは、田園の野鳥や獣を追い払う仕掛けの添水の音というわけです。
一つの音が、深まり行く秋の田園の透き通った空気を伝わって行く、その風景の構図までが目に見えてきます。 カシャリとシャッターを押して写し取ったごとき秋の田園風景を詠んだきれいな透明感に満ちた句。十八句いただきます。
開けた田園を写し取ったのは、もちろんデジカメではなく、感性を大切に表現するのが得意なフィルムカメラのはずです。
大手カメラメーカーがフィルムカメラ生産中止に踏切始めてむなしさ、やるせなさを感じている折から、不易さまの心のシャッターが見事にやさしい日本の風景を写し留めてくれました。感謝します。
19,では、名残の裏に入ります。
添水が鳴って追いやられた可哀想な雀たち。冬ともなれば餌不足です。
そうだ、あのお寺にやって来たばかりの小僧は朝餉当番もまだ不慣れだ。
大事な穀物もこぼすに違いない。
今日は特別に大きい穀物をこぼしたぞ!おっと、とびついてみたものの、これは、小僧が鍋を動かすために竃の脇に腕から外しておいた数珠ではないか。
お腹のすき具合は、雀たちも小僧も同じ事。はやく朝餉にありつきたい。
濤青さま、二十句目となります。宜しくお願い致します。
20,さくらも散りかねる寒さの日々も、ときおり覗く初夏の日差し、春はさびしく去りゆく気配が感じられます。気候変動の中皆さま無事お過ごしでいらっしゃるご様子で何よりです。宗匠さまは、菊水のふなぐちにおそるおそる手を出されたる由承り、またぞろ、ご一同で、尻上げろ、と徳利を傾けたい気分が漂ってまいりました。では、廿句まいります。
辛い修行の小坊主時代の悟りを開く大願も何のその、齢を重ねるばかりで、老師とあがめられてはいるが、身に付いたのはそろばん勘定の技のみ。
来し方を振り返れば嘆息。今夜は焼け般若湯といくかのー。
自戒を込めて。いかがでしょうか。
さても、早き濤青さまの廿句いただきました。
あれも得手、これも得手、となりますと千手観音のようにもなってまいりますが、たしか、千手観音のたくさんの手には世の人々を救うための何かしらを持ってますね。
算盤はもってなかったかな?
千本の手は観音の慈悲が極限・無限 を意味してるらしいので計算はしないのでしょうね。
今頃は、否応無しに計算力が必要な時代となりましたという事でしょうか?世知辛くなって、おちおち歳もとれない世の中と相成ったものです。
我が日本の学校教育では九九算を教えていますが、聞くところによりますとかのインドでは、九九はおろか三十とか四十までのかけ算を暗記させてるらしいです。さすが、ゼロ発見のお国柄というべきか。まさか、人口が多いせいで、回りを見廻して、せっせと暗算を覚えてるというわけではないと思いますが。
よしなしごとを並べ立てて、ご無礼つかまつりました。それでは、膝送りでみますとこの巻におけます不易さま最後の句となりますので、心置きなく廿一句をお願い申し上げます。
21,最後です、どうぞ寛大なるお目こぼしを。
朧とした春の夜のそぞろ歩き。花に誘われたか人込みも出来る。それを目当ての物売りが路肩に並ぶ。何を買うのか篭を覗く人。高い買い物に懲りた経験でもあるのか、時間を掛けて値踏みする。「今日はひとつ、計算高い老獪・老練な禅師の如くになりて、しかと吟味してやろう」
和物の坊主は三句つづきで、バチカンやら大聖堂やら西洋坊主でも打越に。鐘、庫裡、伽藍などでも煩わしいので、坊主本人ではなくしました。何を商う物売りか、篭の中身は、次句へお任せ。花の近きに春季で挨拶としました。いかがでしょうか。
花見しながらそぞろ歩きの宵。
都内ではもう葉桜ですが、心は常に桜前線にのって全国を浮遊される不易さま。
肩にかかる花びらを手で払い落とすこともなしに、物売りの篭を覗いては、ふわりふわりと蝶のごとく舞ってそぞろ歩きを楽しむ春の宵の句いただきます。
老獪・老練な禅師の如くになりて、もの売りの篭を覗く粋人は、どこの誰やら。花にも飽いて浮き世も捨てて春霞の宵に溶け込んでいます。
挙句に向けて春を引き出し、軽やかな歩の運びによって巻全体の進行も整えて頂きました。
宗匠役の力不足も一座の皆さま方の力量で一気に片付いてゆきます。とうことで山穂さま、廿ニ句、よろしくお願いいたします。
22,気持ちを取り直して、再度、花前まいります。宗匠さま、ご面倒をおかけいたしますが、よろしくお願い申し上げます。
駆け抜ける東風にひっくり返された篭は、御馳走となる中身と共に花の下へと飛んでゆく。篭の中身は何だったのでしょうか。もしかしたら、見た目は空でも春の息吹がぎっしり詰まっていたのかもしれませんね。いかがでしょうか。
花前らしく軽やかに廿二句いただきます。
廿一句は、物売りの篭に何が入っているのか語らずに含みを持たせたところが、春の宵のムードをいっそう膨らませこの句に触れるひとりひとりに、一体何が入っているかを考えさせる面白さ………早堀のタケノコか、山菜か、はたまた1株94円で東証取引を終了したライブドア株か?………。 いやいや、春の宵あたりに覗く篭の底には、瓢鮎図に代表されるよいうな禅問答のあれこれがいくつも詰まっているのかも。
そんな得体の知れない春の期待感を、いたずら者の東風がさっと吹き飛ばして、すっかり中身を春の野原一面に広げてしまいました。それでは、濤青さま、見事な花の句、咲かせて頂く巡りとあいなります。
23,いよいよこれにて拙句じまいとなります。
一巻の締めくくりの匂いの花の大役、丈高く朗々と、といわれておりますが、なかなかどうしてそこまでは、との思い千々に乱れ、かくあいなりました。
彌生三月は人生で出会いと別れがもっとも交錯する時ですね。人事のいたずらで東風に吹かれて転げるように西の方に飛んでいった人もいます。桜の花に人生を重ねて見るのが日本人の特質のひとつかも知れません。もう背が伸びないので、丈高くなってませんが。
ちょいと、隣町にある浦安市の図書館に初めて足を運んでみて帰ってくると、さりげなく出会いと別れを花の命に託した濤青さまの匂いの花の句があがっていました。
喜びと寂しさが重なる季節が、肩に力がこもらずに奇麗に詠み込まれた廿三句いただきます。
春の風が野原を駆け回る元気な前句から、華やかな中に情感たっぷりな、しかも大げさでない花の句となりました。
人生と季節の変化が織り込まれ、自ずと春の旋律にのって、声にだし歌ってみたくなるような名句です。
それでは、挙句まいります。
24, 聖徳太子の徳を偲んで建てられたという法隆寺の夢殿には、毎年、多くの修学旅行生が訪れるところでもあります。別れの季節が演じられる場所でもあります。
太子の徳を象徴する夢殿は、春霞につつまれ、そこへ一匹の蝶がやってきた。
ーーーじつは、今日、浦安図書館の壁にふと見かけた日本画。そこには、夢殿を背景に日本の行く末を睨みつけている太子像が描かれていました。以前、画集で見たことのある作品。「静声」と題された林功先生の作品がこんなところにあるとは知らず、ちょっと驚かされた次第です。
しばらく絵の前に佇んでいると、ふはりふはりと一匹の白い蝶が夢殿の周囲を舞う姿がボオーっと浮かび上がって見えました。あの温厚だった林先生の化身に違いありません。
優美な夢殿の姿のまわりに蝶が舞う時は、ほのぼのと世は事もなし、です。
さて、これにて「春の宴」の巻、皆々のあたたかな目に支えられまして一巻成就と相成りました。
新米宗匠のため差配の不手際、多々ございましたでしょうが、全面的なご協力有り難うございました。
とりわけ、後見役を買って出て頂きました不易さまに感謝いたします。
山穂さま、濤青さま、役不足の宗匠役にも一巻が巻き終わるまでよく耐えて頂きました。
今回の講評会は、濤青さまがご担当下さる由、宜しくお願いいたします。
あまり辛口にならないようにもお願い致します。
期日につきましては、ご提案通り連休明けがよろしいかと思います。(止)