自己解釈
捌き 影左
Podcastの準備に大わらわの皆々さま、手前どもの職業は、確かに映像屋にてございますが、それとこれは、なかなかに事を異にいたしまして、とりわけ夜の天空の月の姿を詠み込んでおります為にはて,いかが取り組めば?と思案中にございます。
一番、気楽にスタートされますのは、既にご自身で試作経験をお持ちの濤青さまお一人ではと推察致しております。
とは申せ、宗匠役のご指名も頂きましておりますので、新巻もなおざりにはできません。
宗匠役は一度の経験しかございませんし、相撲で申せば序の口の分際で宗匠役などは、誠におぼつかないことこのうえなしですがーーーー、
−−−−こうして言い訳の言葉に苦慮しております最中にも、濤青師匠からそれとなく新巻スタートのご催促のメール着信です。
何事も経験を積みなさいと暖かく諸先輩の暖かい眼差しに支えられて新巻を始めたいと存じます。
皆々さまのお引き立てよろしくお願い致します
では、冬の旅興行を期しまして、冬あたりからでもよし、あるいは、Podcastを意識した発句でもよしという事で、濤青さま、お始め下さい。
(尚、俳号につきましては、浦霞影左です。ぼーっと霞が広がる浦で我が身さえ定かでなく
どこへ行けば良いか進路が見えず漂っているという程のニュアンスをこめました)
影左 拝
1,ただでさえ多忙を極める時節柄、さらに Podcastの取りまとめというご苦労の 上に、宗匠役もお勤めいただいて、何と申し上げてよろしいやら言葉もござい ません。
お声がかりでもございますので、遅れはかえって失礼かと取り急ぎ、拙句をお 届けいたします。
一座の方々をお見立てするにははばかりがございますが、その方面ではいずれ も強面の皆さま方故、なかなか気易くお声が掛かりにくいとお見受けして、ど うでしょうかの鍋の一夜のお楽しみ。
一茶の借り着の衣装を纏い、発句にも相応しいとはおもわれませんが、昨今の 世上に突き動かされての意味合いで、どうかお目こぼしのほどを。
宗匠さま
Podのことで過分なるお褒め、赤面、紅顔の至りでございます。
皆さまへの叱咤勉励として申されたに相違ございません。
送信が、無事完了できたことは、今後の指針となります。
あとは、よしなに塩梅して頂けると、ホットしております。
よろしくお願いいたします。青
発句、冬の季節を迎えるには、まこと相応しいすべり出しの句です。いじめとか自殺とか,ことに今年は、異常な世相を見せつけられて日本人である事からさえも逃げ出したいくらいの気持ちをどうしていいらや嘆いているところに、濤青さまの身も心も温まり、慈愛もたっぷりの冬の鍋の句いただきました。この句に触れると人々は体ごと温まるようです。
小林一茶の親の無い雀の句がたちまち髣髴とし、きっと呼び集めた雀たちといっしょに鍋を突いていたのでしょうと言いたくなるような句の風景には、うっすらとユーモアの調味料で効果的に味付けされ、濤青さま得意の俳画まで目に浮かんでくるところが流石です。さしずめ、一茶翁似の濤青さまが、童たちに鍋の中の煮えた芋を勧めているいる図でしょうか?
というわけで、発句は、すでにPodcastにのせる際の映像まで考慮した節が見受けられ、世相を皮肉りつつも、日本人の忘れてはいけない<人のぬくもりを大切に--->のメッセージが素直な表現で詠まれ嬉しくなります。
2, 嬉しくは、なりましたが、新巻スタートのお声かけに速攻での発句、
濤青さまにご面倒頂きました膝送りでは、脇句を務めさせていただく順番にあたっておりました。
遅れの言い訳は、横浜雙葉学園の授業風景なんぞのロケ撮影に出掛けておりまして………。
では、参ります。
日本昔話の中には、よく囲炉裏が登場します。日本家屋の中で家族の暖かみを演出していました。
ちろちろと火が揺れる囲炉裏端では、学校の生徒たちのように柳葉魚たちが体を寄り添うようにしてひそひそ話をして並んでいます。
無言の柳葉魚。時折、ぱちぱちと炎が音を立てる。
貧しくとも穏やかな生活のあった田舎の冬の時間が過ぎて行きます。
さて、不易さま。相伴の句をお願い申します。
三句は、大きく変化して、この一巻の興行の行方を決定づける重要な役目という事ですから
不易さまにうってつけと期待いたします。
3,宗匠さま 大変遅くなりまして申し訳ありません。三句目です。宜しくお願い申し上げます。
とぼとぼと肩をすぼめて夜道を行くのは、ありゃ丹後の杜氏ではないか。
家では囲炉裏端のシシャモもよい塩梅に仕上がったのに。さては肝心の寝酒を切らせて酒屋へでも渋々行くのだろうか。紺屋の白袴とはこの事か。
私事にかまけてお返しが遅くなりました事、お詫び申し上げます。由なにお通し下されますよう願いあげます。 易低頭
まだ自頁分は何も出来ておりませんが、連句24podcast用の屋号は迂生の住まい致します地名と、彼の定家卿のお住まいとを併せまして「小倉庵」としました。お見知りおき下されます様。
宗匠さまの辛口吟醸の御名に対してスウィーツ系(小倉餡)にした訳ではありません。為念。
podcast宗匠さま
ところで、pod用ムービー、どうしていいのやらです。
素材は集めたのですが、編集ができません。
締め切り今週末明けまで伸ばしていただけませんでしょうか。易平伏
さすがに、何はなくとも今宵の一杯を心の友とされる不易さまらしく杜氏が主人公の第三句いただきます。
慈愛を鍋の温かさで一茶風に詠んだ発句の気分を脇句では寄り添うシシャモで引き継いでみましたが、相伴の三句目は気分を一転、とぼとぼ歩く孤独へと変わりました。
杜氏そのものの存在も近頃は、減ってきている模様。
杜氏の技の跡継ぎも減ってゆく時代を嘆いて寝酒でもと思った杜氏が切れてしまった自分の寝酒を求めて酒屋へ向かう姿は、とぼけた味わいの中にも、一徹な生き方が揺らいでいる時代の悲哀も感じさせヒューと木枯らしが聞こえてきそう。
この杜氏、酒屋に行ってはみたがここも売り切れで、とぼとぼ帰る姿にも思えるとぼとぼですが、さて、山穂さま、お待たせいたしました。四句目お願い致します。
ところで、小倉庵不易さま、Podcast用映像にしても編集は何かしらの編集ソフトがないと難しいでしょうから、素材と編集構成をメールか何かしらでお送りいただけましたらご指示通り編集致します。
音声は、音声で別録りしたものでもこちらで映像の編集とそろえてあわせることもできますので、どうぞよろしく。
4,懐も何も寂しくとぼとぼと歩く先に一葉が舞う。思わず追って行くとそこには人だかり、かわら版には何やら妖しい人相が。果たしてこの人物は?
相伴のとぼとぼ丹後杜氏の孤独から、幻想の江戸の喧噪へ一葉がひらひらと
導いてゆく。そこで見た瓦版には、どんな事件が?極悪人の人相書きが?
瓦版にどんな顔かかれているのやら、好奇心をかき立てる一捻りが効いています。
それでは、不易さま、引き続き月の定座を宜しくお願いします。
5,月光と云うにはほのかな月明かり。急な坂を腰を折って登ると地面が近い。木の葉と一緒に飛んできた瓦版の切れ端が足にまとわる。はて、この顔、何処ぞで見たような。
四句の一葉を捉まえて二日月と一、二の調子を取り、連句の流れを軽みで繋げる妙技が、流れに勢いを付けてくれました。
前句で瓦版の顔に含まれたドラマの余韻から、新月のあと、三日月に成長する前のカミソリの刃よりも切れ味鋭そうな二日月の明かりは微か。
その明かりが浮き上がらせる坂道を歩む人物の心は、ロマンチックなものか?
それとも、歴史の往来の影をしんみりと踏む不易さまその人か?
こちらも、余韻を曵く名句です。
6,武士の一分が立たないのでしょうか。
海坂藩の城下を歩むがごとき静謐な前句を受けまして、しっかりとはいかない第六句ですが、ご容赦を。
出来上がった「秋景山水図」への画賛の想を練る風情の人あり。
歩む御仁か、灯りのともる居宅の御仁か。
一、二、の後は、賛になります。
その江戸時代の市井の情景の雰囲気を引き受けつつも、六句は、五十歳になってから脱藩して琴を掻き抱き、画家の道に入った浦上玉堂の画境へとワープしました。
それも、一、二、賛とステップ踏んで飛び上がっています。
江戸を旅立ち奥州へ向かった芭蕉翁の
「桜より松は二木を三月越し」も思い起こしたところで初折の裏入り七句まいります。
7, 画賛が思いのままに浮かび上がらず、山水画によく登場する
山峡の谷間に架かる橋でも実際に渡ってみたらどうかと出掛けてみたのが、真冬の吊り橋。通る人影もありません。
山奥の寒気は、今朝も川の流れまで凍らせてしまっている。やがて粉雪でも降ってこようというもの。人気もないのは当たり前だ生き方も、自然の巡りにまかせる自然流についての詩でもしたためて、画賛としよう………。
8,蕉翁の「この道や」を彷彿とさせる侘びた句振りの前句に苦吟いたしました。
風花でも舞い散るような頃の寒村の風情が出ましたでしょうか。
高山から吹き下ろす風のダイナミックな勢いと貧しく眠る小さな村の
コントラストが絶妙な句のあとを受けまして、長らくお待たせ致しました、山穂さま、九句をお願い致します。
9,待ちくたびれてついうたた寝をしてしまった真夏の夜。眠りから醒めて待ち人は来ないのだと現実を知り落胆する。
八句の寒村のさむざむしさから一気に夏の夜の夢へ。いただきました。
真夏の夜の夢は、おどけものの妖精パックが飛び去ってみれば
待ち人来らず。甘い空虚感漂う一句を受けて、大変に,お待たせ致しました、濤青さま、花前の句と相成りますが,なにとぞよろしく。
10,行き違いとなる夏を終えたとて、春になればまた、花の香の漂うような、甘き香に惹かれる宵が訪れます。しかも暗い闇を秘めて。移ろう人の世の習いでしょうか、終わりはありません。
あえて、夜と宵を並べて対比させてみました。
憧れの方との行き違いは、たとえ行き違ったとしても船の航跡のように想いの丈が勝るほどにどこまでも、愛おしさが、夏の夜に煌めきの泡ぶくの尾となってキラキラ輝きを引いてゆくものでしょう。
その煌めきは、秋冬を越して消えたかに見えても、やがて春の宵には、その甘ったるい宵の時間に見事、蘇って見せます。
十句で、花を待つ香りの絨毯が、月夜野山穂さまの足下まで転がり広がってゆきました。
11,甘い香りに誘われて花を追う旅は、どこまでも果てしなく続きます。はかなさとせつなさを秘めた旅はいつの世も繰り返されるのです。
春の宵、嗅覚にまで訴える甘い妖しさが、桃色を含んだような闇にたっぷりと詰まった十句の気分そのままを、お香のように身に焚き込んで旅に出たのでしょう。
ゆわゆわ旅路を楽しむ足取りが目に浮かび、辿り着いた場所場所で桜のふんわりと宙に浮く様を楽しむ日本人の夢の時間が、ごく素直に詠い上げられています。
桜好きの山穂さまの体から自然に芽吹いて来たような素直さが、流石です。
12,せっかく日本人好みの花の風景を満喫したのに、春は何処も観光シーズンです。
観光名所の人だかりに,一際、声高に聞こえる物売りの声が、いやに若い。見れば,年格好からしても本職ではなくアルバイトの若者です。
いわゆるフリーターなんのでしょう、売り声の調子もどこか〈ラップ調〉がかって聞こえます。
13,歳を重ねると、こうはいきません。皺に滞留して一気には汗は転がらないのです。若さの象徴であります。夏は若さがはじけ、悩みも多き季節でもあります。恋の呼び出し、ととっていただいても結構です。
十二句では、若いくせに、頼りなげな声で一時しのぎのアルバイトを観光地でやっておりますフリーターの声が春風に揺らめいていましたが,対照的に十三句では、きっぱりとやって来た夏の若者の肌に真夏の汗のしずくが光ります。
日焼けした健康美をみせびらかすような小麦色の肌は、男性の肌か、女性の肌か!?いずれにしても、青春のエロスが香ります。
恋の呼び出しを強く意識した濤青さまの句に、不易さま、長らくお待たせいたしました。十四句をお続け下さい。
14,グスタフ・クリムトの描きし「ダナエ」は中々に色っぽい作品です。もっとも小麦色ではなく色白の肌ではありますが。あんなイメージで拙句もご解釈いただければ、いくらか恋句の気分に近づけるのではと思います。艶笑譚的な下ネタは得意ですが、とにかく粋な恋句は苦手にございます。お許しを。
15, 神々でさえ運命に踊らされ、黄金の雨となって娘を訪れアルゴスの王を滅ばしてしまうとは。
普通の暮らしをして来た身には、この先どんな運命が待っているのだろう?
アリスは聞きました。「あたしはここからどっちへいったらいいのか教えて」
チェシャ猫「あんたがどこへいきたいかによりますなあ」
アリス「どこでもいいんです」
チェシャ猫「ならどっちへいってもかんけいないじゃん、どっかへはつくことだし、まちがいなく。たっぷり歩けばね」なんて言いながらチェシャ猫は消えてしまったり、突然あらわれたり、、、。
運命の黄金の雨から、彷徨いの秋の暮れへ、その先は、山穂様に十六句お任せ致します。
16,行き方を聞いたところで風来坊には何の意味もありません。だって、風来坊に行く宛など無いのですから。風任せにふらふらと行く。それにしても自由は良いが、木にたわわに実る美味しそうな柿の色も、見事な柿色の夕焼けもいやに心に沁みますなー。
前句で、〈行き方〉と〈生き方〉を掛詞で述べた部分が、しっかりと風来坊の生き方に引き継がれることで生かされ、前句との関係も力強く続けられます。
17,柿のみのる頃ぶらりと来て腰を落ち着けてみたが、さすがに名月の里と言われるだけあって、月は見事に皓々とであるが、なにせ、何にもな〜い。肴にするのは味噌を焙ってぐらい。侘びしいな〜。
実は、昨日、高崎の観音山近くの山荘で、フキノトウの味噌和えを
賞味して帰ったばかりのところです。
それも、月に味噌までが添えられまして、食べ物に弱い宗匠役と致しましては、一も二もなく月の句、いただきました。枯れた舞台設定は、黒澤明の白黒映画のワンシーンをみせてもらうような静かさと生きて来た人生の味をしみじみ噛み締める味噌の味まで胸に広がる。
味噌の香りと味こそ、風来坊が、常に求めて止まない故郷の存在感、そのもののようでもあります。
18,名月を誇ってはみたものの、里人の暮らしはなかなかに厳しい。
名にしほふ月の名所にも、その内実には貧困ゆえの現実がある。
宗匠さまご解釈の前句の黒澤明作品に対して、今村昌平作品のイメージでご無礼つかまつります。
名月は、里に暮らすつましい生活者を見守る包容力を持つかと思えば、その生活者の行く末を照らし出す非情さをも持ち合わせるということでしょうか。
19,田毎の先の遥か山の先に見える美しい虹はどこまで続いているのだろう。故郷の山を捨て、壮大な夢と虹を追いかけて大海へ。
舞台も,山から海へと移り、それも虹のおまけ付きでモノトーンの前々句、前句の光景をも、さらに引き立てつつ彩り賑やかな句となりました。
20, スポーツならではのスッキリ感て素晴らしいですね。十九句の海の舞台を引き継ぎながら、自分より強い競争相手に堂々と闘いを挑んで、やっぱり負けた時の心地よい敗北感。
その余韻が、夜の南十字星を楽しく見上げさせてくれます。
21,今朝の仕事は久々に大漁だった。漁獲の多さに船足が遅くなる。いつもはいい勝負の海豚にも簡単に抜かれてしまうほど。夕間暮れ、今日の漁の成果に満足して魚網をたたむ。一日の心地よい労働の疲れと、春の日の朧な浜が静かに暮れてゆく。
豊穣な海とも形容される海が持つ、青年のような面差しが前句とすれば、廿一句は、昼の海で戦い終えた漁師が、勝利を満足げに反芻しながら網を括っている熟年の心境が静かに詠われています。
22,説明がいるのですが、茶摘み女が腰をかがめて摘んでいると丁度遠景の富士の峰が乗っかった状態に見える情景です。
実は、駿河湾で干し編みを括る若い漁師とこの茶摘み娘とは出来ているのです。
海から山へと変えたのですが、花前なのに格調を落としてしまったようです。
駿河あたりの恋人たちは、きれいな風景をふたりして作り上げるもののようです。海辺の漁夫と茶畑の茶摘み女。その辺りは、ともに私の故郷でもございます。否応無しにいただきます。
23,富士と競うパワーがあるのは「桜」しかございません。
少し離れた丘の上には樹齢千年の桜の大木が天を突いて八分咲き。
花の勢いは、ビロードのように柔らかい春風の旋律にのせてその淡い色香を天の霞と広げています。
24,力強く誇らしげに咲く大樹の花。その見事な花の道を行けば、目前に広がる光景は勿論、後ろからも春の喜びが、花がポンポンと開くように聞こえて追いかけて来るようだ。
ポンポンとリズム感も桜満開の春の小径をゆくひとびとの弾む気持ちがストレートに伝わってきます。
春には、卒業式があったり、入学式があったり、嬉しいことがポンポンと花開く季節でもあります。
団塊世代には,遠い若かりし良き日への振り返りの春の思い出も蘇ります。そうした余韻も残る山穂さまの挙句で「冬の鍋」の巻は、めでたく一巻成就を迎えました。
昨年の十一月中旬にスタートいたしました「冬の鍋」の巻は、ちょうど、三ヵ月の長丁場となりました。
この巻の講評会は、その分だけ盛り上がることと今からおおいに期待いたします。
暖冬の冬ではございましたが、もう、春がそこに顔を覗かせそうです。
皆々さま、長丁場、おつかれさまでした。